松浦武四郎紀行足跡乃碑(長沼町道の駅)

石碑・銅像・胸像(歴史上の人物)

令和6年(2024)7月15日(月祝) 道の駅マオイの丘公園(夕張郡長沼町東10線南7番地)

 本別町に高速道路ではなく下道を通って帰る途中、マオイの丘公園で松浦武四郎の足跡の碑を見つけた。

【松浦武四郎紀行足跡乃碑】
 松浦武四郎阿部弘は文政元年、現三重県三雲町に生まれる。十六歳から全国を遍歴し、弘化二年(一八四五)ついに蝦夷地に渡る。以来四航し六度蝦夷地と樺太及び千島を探検。その関係書著は三八三種に上り、近世北海道の探検、警世家の集大成者と表され、この間水戸九代藩主斉昭の厚い知遇をうける。
 安政四年七月(旧暦) 札幌~夕張新道の調査を命ぜられ、石狩川より千歳川を遡上、旧オサツ、マオイ沼を船行してこの幌内に上陸、馬追山を超え、その帰途またこの地に泊して詠す。
 出るよりやがてかたぶく月影の 移り行く世のならひをぞ思う
 明治二年開拓判官、北海道国郡の区画、道名・紺郡名を選定し「北海道の名付け親」として不朽の名を残す。またアイヌ民族に対する深い愛情は胸を打つものがあり、その稀に見る人間性は、現代に生きる我々に人間のあり方を啓示す。
 明治二一年七〇歳で卒す。死するに先立ち従五位に再叙せられ、こえて昭和一三年札幌神社・開拓神社に祀られる。
 この碑は翁の神仏崇敬と、早逝の長女を追悼して明治八年東京上野東照宮に奉納した大銅神鏡を模し、また旅路にあって分身の如く携帯した鍋(鍋塚) の意を汲んで碑中に収む。
 けだし、安政の昔、新道見分けの任を負い、この地を踏査した足跡にかんがみ、まこと国道二七四「樹海ロード・道の駅」に相応しく、その高き志を形象し、由緒を刻みて建立す。平成八年七月七日 松浦武四郎紀行足跡之碑建立期成会

コメント