令和6年(2024)10月12日(土) 3km 35分
札幌帰省中、まだ走ったことがない、石狩市厚田区を走ることにした。ここは濃昼山道トレランで訪問して以来だ。
道の駅に車を停めて、港の方にいく途中、「大網元佐藤松太郎屋敷跡」があった。この人は道の駅の二階に写真があった。厚田港朝市を見学して、寂れた市街地を通るとなんと「作家子母澤寛生家」があった。
そして、厚田神社に向かう。神社の手前に碑が二つ立っていた。なんと、ここに剣術道場があったのだ。
【撃剣道場 直心館之碑】石狩市厚田区厚田1 番地
上記のとおり刻まれ、右に「直心影流剣士牧田重勝」と添えられていた。裏面には金属板がはめられていて、読み取りづらいがおおむね次のとおり刻まれていた。「建立趣旨 明治25年極寒の1月北辺の厚田村に鹿嶌神宮伝十六代直心影流剣士牧田重勝によって撃剣道場直心館が開設された そして同43年まで19年間もつづいた 村内は勿論近村からも集まり門人は123名にも及んだ。その後札幌の苗穂村に直心館を開き小樽在住の新選組生き残り永倉新八とも親交を含め本道に於いて武道の繁栄に尽力した。茲に有志相はかり記念碑を建立してその遺徳を顕彰する 昭和52年9月11日 厚田村文化団体協議会長 鈴木藤吉記」
【豊漁紀念碑】石狩市厚田区厚田1 番地
表面には上記のとおり刻まれ、裏面にはびっしり文字が刻まれていたが、読み取れなかった。石狩市のホームページから概要を転載する。「厚田神社の境内に、明治24年(1891年)に5万石という未曾有の豊漁があったことを記した「豊漁記念碑」が残されている。5万石の鰊粕の生産に要する生鰊は約4万トン。販売価格は現在の金額で約50億円になる。この碑文は、鰊の大漁漁獲地であった石狩湾・厚田に、多くの北前船が来航した理由を伝えている。」
次に厚田神社にお参りする。扉を開けることができ、恵比寿さんのような額縁や御神輿、太鼓などが陳列されている。この神社も古い。
【厚田神社】
嘉永元年(1848)5月村民協議の上創立、惟神の大道に遵い普く同胞をして神恩を奉謝し神徳を奉体せしめ淳厚なる民風を作興し以て世界人類の福祉に寄与することを目的とする。明治36年2月17日付本殿改築の件を出願し、明治37年2月22日札第893号を以て許可。明治38年10月落成を届け出る。大正15年8月5日付を以て神饌幣帛料供進神社に指定される。同日付村社に列格。合併により合祀された歴史をもつ御祭神稲荷神社 保食神 明治8年創祀 明治45年4月15日合祀・安瀬神社 保食神 天保元年創祀 明治45年2月3日合祀
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