令和6年(2024)10月20日(日) 中標津町計根別本通東6丁目
計根別の市街に入ると石碑が見えてきた。計根別の発展に尽くした方らしい。裏面の碑文のフリガナはカタカナであるが、転載はひらがなにするのでご容赦。裏面には碑文がびっしりと刻まれ、銅板には氏名が刻まれていた。
【亀子卓顕彰碑】
表面には上記のとおり刻まれ、達筆で「黒澤酉蔵書」と添えられていた。裏面の碑文は次のとおり。「亀子卓君は明治23年4月23日長野県木曽福島町に生る 資性慧敏闊達士魂を具え併せて商才に富む 丁年に至るや召されて旭川師団に軍務に服し除隊後十勝国芽室町に於て農業の傍ら商業を営みたるも 昭和3年根室原野に於ける酪農の将来性に著目し中標津計根別に転居し昭和4年以来標津村議会議員 中標津町議会議員に歴任し副議長議長の要職に任し又標津殖民地産業組合理事となり或いは標津村農会副会長 根室畜産組合副組合長等 自治体及び農畜産団体の枢機に参し其の刷新振興を図り拓地殖民に対しては蘊蓄を傾けて献策斡旋 当路に敢請或は鞭撻をして施策の適性を促し夙に主畜農業の建設を力説して 酪農振興に渾身の努力を傾注し今日輝ける境地に達するの根基を培えり 君逝て既に5年 根室原野開拓史上に残せる偉大なる足跡を偲び 有志相謀り碑を建て以て其の功績を顕彰す 昭和31年8月 植松適 謹識」
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