中標津町当幌の開拓記念碑

石碑等(開拓記念碑)

令和6年(2024)10月20日(日) 中標津町当幌

 根室から中標津経由で弟子屈に向かう途中、中標津町当幌地区の当幌研修館のところに開拓記念碑があった。根室市に在住していたときも気が付かなかった。

【当幌開拓の碑】
 碑文の表には上記のとおり刻まれ、その横に「堂垣内尚弘書」と添えられていた。その下の碑文には次のとおり刻まれていた。「碑文 人跡未踏の大森林に大正13年北海道開拓移民として入植。開拓の鍬を入れてより55周年を迎えるに至った。大正末期から昭和初期にかけての大冷害大凶作により住民の生活は極度に困窮し、将来の不安に怯え故郷、其の他の地へ転出した人も多かった。昭和8年産業五か年計画により補助牛の導入、主畜農業経営に精進する。第二次世界大戦と敗戦後の混乱幾多の苦難と闘い不屈、不撓の拓魂を燃やし辛酸嘗めて、星霜55年、部落戸数42戸、内、酪農家戸数32戸、乳量4500頓の酪農郷当幌の基礎を築き上げた先人の偉業を讃えその功績を労うと共に輝かしい将来に向かって更に発展することを願いここに記す。昭和53年8月吉日 当幌開拓記念碑建立協賛会」

【当幌百年の碑】
 表面に上記のとおり刻まれ、その下に「北海道知事鈴木直道書」と添えられていた。鈴木知事書は初めてだ。「碑文 前人未踏の原野に大正13年、北海道拓殖移民として19戸が入植、開拓の鍬を入れて100周年んを迎えるに至る。昭和初期の度重なる冷害、凶作に見舞われた先人たちは、幾多の苦難を乗り越え、主畜農業へ方針を転換し酪農の礎を築く。その後第一次構造改善事業を始め、多くの国の事業等で機械化や近代化により急速な規模拡大が進み、酪農の主産地として確立してきた。令和になり新型コロナウイルスが世界中を襲い不穏な世界情勢の中、農業も様々な影響を受け厳しい経営環境の渦中にあり、変革の時代を迎えている。星霜百年、地域戸数62戸、内農家戸数18戸、出荷乳量1万5千トンの酪農郷東方を築き上げてきた。不撓不屈の拓魂を燃やした入植者達と、今日の農業基盤を確立した先人達の努力と労苦を労い、その偉業と功績を讃え、これからの百代がさらに輝き発展することを願い、ここに碑を建立す。令和5年9月吉日 当幌開基百周年記念事業実行委員会」

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