弟子屈町内散策・弟子屈神社の石碑

古木

令和6年(2024)10月20日(日)弟子屈町道の駅摩周温泉~弟子屈町内~弟子屈神社 8.3km 1時間24分

 本日は当初登山しようと思ったが止めて、弟子屈町内散策ランに切り替える。道の駅摩周温泉に車を停めて、市街を散策してから最後に弟子屈神社に立ち寄るコースとする。市街地はやたら寂れている。バブルの時代まであった温泉ホテルも閉まっている。人口減少は深刻だ。市街地を通って水郷公園に行く。三日月湖と水車が美しい。

 最後に弟子屈神社に行く。やはり古木と石碑があった。

【弟子屈神社由緒】
 明治25年、本町移民の先駆者、柳沼萬之助、土沼寅吉、横田助作、本山七右衛門等相議いて伊勢より二柱の大神を奉祀。(以下、略)
【御神木】(蝦夷山桜樹齢200年)
 弟子屈神社は明治25年御創祀され、現在115年(略)。昭和42年、神社全焼にもかかわらず、御神体は焼失せず、恐懼の至りと氏子一同感涙し、現在も鎮座されている。その火災にて枝の一部を失いながら、弟子屈町の氏子の幸せを願い見守り続けている。平成22年5月吉日 弟子屈神社宮司 関義宣

 神社の門の方に石碑がひっそりと建っていた。
【開基之碑】
 表面は上記のとおり刻まれ、「髙岡熊雄書」と添えられていた。裏面には次のとおり刻まれていた。「明治18年石川県の人本山七右衛門氏が此の地に居を構えたのに始まり 明治31年に御料局札幌支局川上郡出張所が設置せられたことが開拓の緒であって弟子屈町開基の淵源実にここに存する 次いで明治36年8月15日付熊牛外四ヶ村戸長役場管轄より分割し弟子屈村外一ヶ村戸長役場を設置大正12年4月1日付け北海道に旧町村制の施工により弟子屈村及屈斜路村を合せ弟子屈村役場を設置 昭和18年4月10につ漬け北海道一級町村制施行昭和22年7月1日付大字名を廃止し町制を施行現在に至る 以上の沿革を経て居るが明治36年8月15日本町に自治制を施行してより昭和28年8月14日を以て満50年となる 茲に謹んで先人の偉業を讃え其の功績を後世に傳えるものである 昭和28年8月」
 もう一つ、入口に神社の創始100年記念碑があったが、転載は割愛する。

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