令和6年(2024)11月2日(土)小樽駅前~龍宮神社~手宮富士~長橋十字街~手宮富士~小林多喜二石碑等~旭展望台(旭チャシ?)~小樽駅前 約9.6km 2時間15分
明日は水泳大会なので、今日は軽めの運動と考え、小樽市内散策に向かう。今日は大分以前、冬に訪問した旭展望台を小樽商科大学の方ではなく、長橋方面からアプローチすることにする。
まず手始めに、駅近くの龍宮神社を始めて参拝する。以下のサイトによるとここは神社ができる前はアイヌ人が、イナウを捧げてお祈りする場所だったらしい。初めて訪問したがパワースポットらしく、駐車場も広く、グッズなども売られていた。初めて知ったが、幕末の榎本武揚がこの神社を建立したらしい。そしてあまり面白くないが、政治家の麻生太郎も参拝したらしい。
境内には榎本武揚の像も建てられ、社殿には木彫りの龍のようなご神体もあった。なかなかの神社であった。
【龍宮神社・榎本武揚とのかかわり】小樽市稲穂3丁目22-11
幕末・明治に活躍し、龍宮神社を建立した人物です。
明治維新において、新政府軍と旧幕府軍の最後の戦いである箱館戦争では、旧幕府軍の総大将である榎本武揚は、敗戦の責任を自ら取って牢獄に入ります。しかし榎本武揚の捕虜に対する紳士的な扱いや、肌身離さず持っていた「海律全書」が戦禍で失われるのを防ぐために敵軍に送るなど、戦いの中においても尊敬できる人物と考えていた新政府軍大将の黒田清隆が、丸坊主となり助命懇願したため、出獄を許されました。その後、類いまれなる能力を買われ、新政府のもとで大臣を歴任、駐露特命全権公使として樺太・千島交換条約を締結し、日本のために粉骨砕身されました。その中で、蝦夷共和国の設立を掲げた、思い入れ深い北海道で、天然の良港を持つ小樽が北海道貿易の中心になると確信し、開発に先立ち人々の心の支えとなる神社を建立しました。それが龍宮神社です。
また、良質の石炭を採掘する幌内炭鉱の積出港として小樽こそふさわしいと考え、北前船の拠点ともしました。そして後の北海道長官となる北垣国道と共に20万坪の国有地払い下げを受け、北辰社という会社を作り積極的に小樽の土地開発を行って、北海道と小樽市の発展に多大な寄与をされました。
神社が建立された場所は、元来アイヌ民族の祭場であり、「イナウ」を立てて祭事を行っていました。「イナウ」とは木片を削って祭具として用いたものであり、アイヌ民族にとって「神への捧げ物」や「神霊の依代」などを意味します。神社周辺を稲穂(いなほ)町と呼ぶのは「イナウ」に由来しています。
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