富山県「矢部団体」入植地

石碑等(開拓記念碑)

令和6年(2024)11月16日(土)音更町図書館分室~国鉄士幌線音更駅~音更町矢部地区 循環ランニング 12.7km 1時間54分

 天気が良いので音更町の史跡訪問ランニングへ。今日の目的地は国鉄士幌線音更駅跡と矢野地区の開拓の石碑である。図書館分室の駐車場に車を停めて音更駅跡を訪問後、西の方に走っていく。白樺並木と畑が美しい。3kmほど直線を走り道道214号線に突き当り、少し北上し、カーブのところに矢部団体の入植地があった。入口のところに説明板とその奥に百年開拓碑があった。さらに神社の方には、30、40、50、60年の開拓碑があった。

【説明板」富山県「矢部団体」入植地】音更町東士狩西7線34-12
 明治30(1897)年2月、富山県西砺波郡山王村大字矢部村から団体長、田守太吉ら一行、25戸90人は伏木港を出発、函館での乗換え時、定員超過のため数名が逗留、遅れて乗船するもエリモ岬の荒波に航海出来ず、日高の幌泉に上陸。陸路9日間かけて伏古村にたどり着くなど苦難の旅路を続けた入植者もいました。開拓地は音更の南西部、西4線から西8線、2号から7号の矢部地区。5年後に約5haずつ耕作者のものになりました。入植者は、自分たちが開拓した土を「清土」として封緘し、神体として奉ったのが住吉神社です。

【矢部開拓百年記念】
 三角の形の自然石に上記のとおり刻まれ、その下に「金子尚一謹書」と添えられている。自然石の横に碑文の石碑があり、次のとおり刻まれていた。「碑文 矢部開拓の歴史は、北海道開拓を志した二十有四戸の集団移住に始まる。矢部団体は、郷里富山県西砺波郡山王村大字矢部村(現福岡町)を後にし、明治30年4月17日、この地に入植した。開拓先駆者達は、未開の原始林に聖鍬を打ち下ろし艱難辛苦に耐え、堅忍不抜の精神を持って開拓に精励郷土矢部発展の礎となった。星霜百年、不屈の開拓精神が、子子孫孫に受け継がれ、今日の理想郷矢部の隆盛を見るに至った。ここに、矢部開拓百年を迎え開拓先人の苦闘に思いを馳せ、御労苦を偲び、この偉業を、未来永劫に伝える象徴として、矢部開拓百年記念碑を建立する。平成8年4月吉日 矢部開拓百年記念事業実行委員会」

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