令和6年(2024)11月30日(土)士幌町市街(柏公園)~(道道134号)~上居辺小学校付近~町道を通って国道241号線経由で駐車車両に帰る 13.5km 1時間53分
午前中は所用があったため、昼過ぎから近場の士幌町で史跡探訪ランニング。本日の目的地は士幌町上居辺。グーグルマップ上では石碑等は出てこないが、写真でそれらしきものが見えたので、走って行ってみることにする。本日は冬型で西風が強い。行きは追い風で日が照って温かかったが、帰りは向かい風でしかも日照が無くなり雪も降ってきて、手もかじかんでやたら寒かった。しかし、たくさんの石碑を発見できたので良しとしよう。
士幌町市街から道道134号線を東進して、上居辺小学校の近くに到着すると遠くに巨大な石碑が見えてきた。開拓記念碑の外にもたくさんの石碑があった。この辺は小学校だけでなく、JAの事業所や農業会館などもあり、ちょっとした集落になっていた。


【雅山豊郷】河東郡士幌町字士幌東7線173番地
表面には上記のとおり刻まれ、「がざんほうきょう」と読むのだろうか。その下に碑文が次のとおり刻まれていた。「碑文 大正三年四月岐阜県武儀郡出身の長島治吉が百八十町歩の売り払い許可を得て入地したのにはじまる。同年本郷兵吉の所有地参百町歩を譲り受け福島団体他十五戸が入植し更に大正五年には石狩団体他十数戸が入植するところとなり、その戸数実に三十八戸を数えるにいたった。
大正八年松室農場が開設され小作人募集と同時に入植者も増加し、上居辺の開拓も漸次すすめられていった。
想えば、自給自足と幾多の困難に耐えながら貫かれた先人達の不屈の開拓魂が多くの諸先輩に受けつがれ、熾烈な自然との苦闘を重ねる中で、この豊かな穀倉地帯の基盤が築きあげられたのである。
ここに開基七十周年を迎えるに当たり、先達の地と汗にまみれた御労苦に深く思いをいたし、その偉業を讃え、輝く未来に向かって躍進する郷土のシンボルにすべく、ここにこれを建立する。昭和六十一年三月 上居辺開基七十周年記念事業協賛会々長 中島康夫」
裏面には協賛事業協賛者の芳名が刻まれていた。



その隣に「偲石」と「上居辺庭園」の石碑があった。前者は老人クラブからの贈呈で昭和57年の建立、後者は石碑が置かれている庭園の整備を記念して、同じく昭和57年に建立されたもの。内容は重複するので割愛する。




隣の小学校のところには、地区の開基百年記念碑と上居辺小学校開校百年の記念碑が建立されていた。学校と地区の百年記念碑が同じ石碑に建立されているのは珍しい。
【百年の歩み 懐郷 中島康夫書】
屏風のような石碑の真ん中に上記のとおり刻まれ、さらに上居辺小学校の校歌が刻まれた板。そして両サイドに「上居辺地区開基百年」「上居辺小学校開校百年」と刻まれていた。その前には碑文の石碑があった。開拓の歴史は前記と重複するので割愛するが、小学校は大正五年三月に開設されたとのこと。この記念碑は平成27年に11月に設置されたものらしい。




百年記念碑の奥に「御大典記念碑」があった。御大典とは天皇の即位を祝うことであるが、おそらく昭和天皇の即位を祝って建てたものだろうか。裏面には「上居辺青年会」と刻まれており、地元の青年たちが建てたのだろうか。


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