「坂内村渡道百年」碑

石碑等(開拓記念碑)

令和6年(2024)12月1日(日) 帯広市稲田町~(国道236号線)~川西東~公園東通り~ビート史料館 5.6km 52分

 スインピアでの水泳大会における自分の参加種目が10時半くらいで終わってしまったので、帯広市内散策ランに。稲田のショッピングモールに車を停めて走り始める。今日の目的地は、国道236号線沿いの坂内村渡道百年碑とビート史料館である。
 国道236号線を南下するとと、国道沿いに標記石碑があった。ここはいつも車で通る時、駐車場所がなくて、レポートを断念していた石碑だ。やはり自分の足で訪問すると臨機応変な対応ができてよい。

【坂内村渡道百年】碑 帯広市川西町東1線東
 自然石に上記のとおり刻まれ、その下に「坂内村長 田中正敏書」と添えられている。渡道前の内地の首長が刻まれているのは、珍しい。その下に碑文が刻まれていた。「先人の偉業を讃え 我が祖先の生地坂内村は、岐阜県の西端揖斐川の源流で福井、滋賀両県と接する山地農村である。明治中期、増加した人口の過密と峠越し他村との交流に難儀し村民は苦難にあえいえでいた。当時本州各地から新天地を求め北海道入植が盛んに行われており、村でも有志により開拓移民団が結成され、明治二十九年四月二十九日、肉親の情を絶ち、郷里への愛着を残しながら、31戸132人が第一陣として旅程についた。以来現在までに170戸を越す村人がこの十勝に移り住んでいる。開拓当初はカシワ、ニレ等天を覆う大木を伐採しての耕作、しかも打ち続く冷水害、バッタの害、冬は氷点下30度を下る厳寒、収穫した「きび、あわ、いも」を常食としての生活は困難の極みであった。先人のちのにじむ努力の積み重ねを基盤に世代が人力から馬耕、機械化農業への発展し生活も安定してきた。後継者は地域を支える重要な人材として各方面で活躍している。この時にあたり、関係者集い、豊かな北の大地のさきがけとなった先人の偉業を讃え故郷への想いを込め坂内村から石を運び記念碑を建立し遺霊を供養するものである。更に子孫互いの心の絆を強め、未来に限りなく希望に満ちた十勝の人々とふる里、坂内村の共に栄え発展を願うものである。平成七年六月建立」。裏面には、協賛者の芳名が刻まれていた。

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