中標津町養老牛の開拓之碑等

石碑等(開拓記念碑)

令和6年(2024)12月21日(土)標津郡中標津町養老牛347

 道道885号線を中標津町市街に向かっているとき、養老牛開拓の碑を見つけた。ここは昔から何度も訪問しているが、開拓の石碑があるとは思わなかった。

【開拓之碑】
 石碑の表面には上記のとおり刻まれ、その下に「西村武重書」と添えられていた。裏面には在住者名が数多く刻まれており、その下に「昭和53年5月建立」と刻まれていた。この石碑の横に縦型の説明板の石碑があり次のとおり刻まれていた。「養老牛は、緑の香り高い沃野に、牛群悠揚として精気大地にみなぎり、自然の美しさに彩られた閑静な温泉地として、人々の憩う豊かで平和なふるさとです。昭和4年から6年にかけて、私達の先人百戸は、人跡未踏の野獣とびかう原始林に、斧と鍬を打ちおろし開拓の歩みをはじめると共に、人の住むところ教育ありとして、子供達の限りない未来に希望を託し、学校教育の灯をともしました。時がたち人々が変っても、自然の酷しさは、ようしゃなく生活を圧迫してきたのですが、昭和6、7年の強霜による冷害凶作は、あまりにも苛酷なものでした。しかし、新人たちはそれにもめず忍耐を重ねて遂に克服しました。さらに、いまわしい第二次世界大戦の悲しみをものり越えて、戦後開拓の人々も共に歩み共に栄えてきました。今、養老牛は一大酪農郷として、酪農戸数58戸乳牛約3200頭、乳量9千頓を誇り得るまでに成長しました。これは先人の粒々辛苦を以って郷土建設にいそしまれた栄光の結晶であります。茲に開基50年、小学校開校50年、中学校30年、戦後開拓30年の記念すべきときにあたり、さらに未来に向かって飛翔することを誓い、先人の偉業をたたえ、その栄光を永久に伝えるべく、これを建立します」

【乳牛感謝之碑】
 表面に上記のとおり刻まれ、脇に「北海道知事町村金五書」と添えられていた。裏面には次のとおり刻まれていた。「昭和41年7月建立 牛乳百萬石突破記念 養老牛畜産振興会 牛乳生産一万トン突破 昭和55年」

 となりには馬頭観音の碑があった。「第六清山號 昭和9年8月10日亡」と裏面に刻まれていた。

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