開拓之碑(西春別)

石碑等(開拓記念碑)

令和6年(2024)12月22日(日)野付郡別海町西春別99番地

 別海町西公民館のところに開拓之碑を見つけた。

【開拓之碑】
 石碑の表面には上記のとおり刻まれ、その下に「別海町長 上杉貞書」と添えられている。石碑の株の周囲には「昭和7年入植者芳名」がアイウエオ順で刻まれ、氏名の下に出身県が刻まれていた。氏名と出身県がセットで刻まれている碑は初めてである。「福島県、和歌山県、群馬県、山形県、長野県、三重県、岩手県、兵庫県、福岡県・・・」。そして建立者芳名もアイウエオ順で刻まれ、「昭和57年5月吉日三十三部落開拓五十周年記念実行委員会」「平成17年9月吉日 記念碑修復」と刻まれていた。
 石碑の本体と二重になっている碑文には次のとおり刻まれていた。「碑文 当地、西春別は北海道第二期拓殖計画に基き本州各県より開拓移民としての移住が始まり、昭和7年61戸の入植者と指導機関及び商店等10数戸による市街地と共に此処に集落をつくり開拓の鍬を下した時に始まる。入植初年度から大凶作にあい、十勝、樺太等、他地域に多くの転出者が出た。昭和8年主畜農業五か年計画を道庁が樹立、乳牛の導入によりようやくにして経営が軌道に乗りつつある昭和11年10月、部落の6割が軍馬補充部根室支部用地として接収され移転を命じられた。その為31戸が翌12年より現在地に移住し駅周辺に居住者数戸を含め集落を形成した。昭和16年、市街と分離し現在の部落を形成した。第二次世界大戦の勃発で飛行場建設が行われ、昭和18年再び部落の一部11戸に立退が強要され移転を余儀なくされた。終戦後飛行場跡地に数戸が再入植し以来、本格的酪農経営に取組み、現在に至る。茲に艱難辛苦を乗り越えられた先人の偉業を讃え幾多の労苦を偲び将来への永久なる発展を記念し、三十三部落の開拓五十周年を記念してここに碑を建立す。昭和57年5月吉日 三十三部落開拓50周年記念実行委員会」

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