新得町大師堂の石碑

寺社

令和7年(2025)1月5日(日) 北海道上川郡新得町西2条北3

 新得神社の手前、大師堂のところに石碑が何個かあった。

【開拓功労故山内要君之碑】
 表面には上記のとおり刻まれ、裏面には「昭和四年十月 新得酪農組合 新得村有志 建立」と刻まれていた。碑文があったが文字がかすれて読み込めなかった。J-ミルクのサイトに氏の功績が載っていたので転載する。「新得での酪農のはじまりは、1907(明治40)年に小樽の飼料・肥料販売業者、丹波屋の牧場が開設され、山内かなめが経営したことに始まります。丹波屋は販売拡大のために直営牧場を開き、支援していました。翌年からは、美瑛の旭農場経営者の小林直三郎の指導により、ホルスタイン雄雌と、エアシャー系雄1頭を導入、明治末からは丹波屋から牧場を譲り受けた山内が、移住者の太田倉之助とともに牧場経営にあたりました。1914(大正3)年には放牧地285町歩、牛25頭、馬5頭を飼育するまでになっていました。
桜で有名な新得神社のすぐそば、大師堂のわきにある「山内要君之碑」は、同志だった太田らが建てたものです。石碑には「昭和四年、新得酪農組合、新得村民有志」の文字があります。1929(昭和4)年といえば、世界恐慌の年。翌年には農産物価格の暴落に見舞われることになります。先駆者である友に呼びかける「君」という敬称に、心を打たれます。」
https://www.j-milk.jp/knowledge/column/obi04.html

【故 森定八蔵 十河専吉 之碑】
 表面には上記のとおり刻まれ、裏面にはおそらく「昭和十年四月八日」と刻まれていた。

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