池田神社・吉屋信子文学碑

神社

令和7年1月吉日 池田駅~池田神社~清見ヶ丘公園~池田駅 3.5km 38分

 池田駅に停めて以前訪問してレポートできなかった石碑を撮影することにする。最初に池田神社を訪問する。

【池田神社】北海道中川郡池田町旭町一丁目
 由緒は、明治30年ごろ移民有志が協議して清見台南西部に大国主命の標木を建てたたのが最初。大正十年に池田神社創立並びに村社昇格の申請をし大正11年創立許可。

 神社の裏は清見ケ丘であり、登っていくと吉屋信子の碑があった。

【吉屋信子文学碑】
 表面は次のとおり刻まれていた。「石狩と十勝の国境をつらぬいて、汽車の線路は、幾重にも大きい曲線を地に描いて 荒涼たる平野へと走る。嗚呼、荒涼 雄大 冬の平野よ 緑は月の光に照らされた雪の積もった平原を見渡して、胸に熱い泪を覚えた。「地の果てまで」。
 碑文の裏は次のとおり刻まれていた。「私が大正八年、朝日新聞の懸賞小説に当選した作品。
「地の果てまで」を書いたときも北海道で書いた。23歳だった私は皮革会社に勤務していた十勝の池田町の兄のところに、アカシアの花がきれいだったそのときの5月に行き、7月までの3ヶ月間で書きました。吉屋信子 朝日新聞(昭和39年7月13日)」

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