蝦夷文化考古館(幕別町)

郷土資料館

令和7年(2025)2月吉日 幕別町新町駐車場~(国道38号線)~十勝中央家畜市場・畜魂碑~相川小学校跡(万城目正生家)~蝦夷文化考古館~線路沿いの道を戻る~金比羅神社~駐車場 15.8km 2時間18分

 いよいよ蝦夷文化考古館に到着した。新館を建設中であり、この古い建物をレポートしたかった。説明板があった。

【蝦夷文化考古館】北海道中川郡幕別町字千住114番地の1 
 この地を幕別町千住と言う。この地区はかつて白人村と呼ばれた。白人はアイヌ語で「チリオゥトゥ」と言い、「鳥多き沼」の意味である。白人村にアイヌが住みついたのは寛延2年(1749年)多くは北見方面からの移住と伝えられる。昭和19年白人を「千住」と改称。
 吉田菊太朗独力で考古館を建設
 このちに住む吉田菊太朗(1896~1966)はアイヌ民族の生活を建て直す事を計画。昭和4年に白人矯風会を組織して彼らの生活改善に大きく貢献した。また先祖が残した生活用品古俗品などの逸散を憂いかねてから道内外より収集していた文化財を保護するため、昭和34年に独力で考古館を建設した。館内にはそれら貴重な文化遺産が展示してある。昭和40年1月8日吉田菊太朗の死亡により考古館のすべてが町に寄付されたもおのである。幕別町教育委員会」

 考古館の裏に石碑があった。これは昭和天皇が軍事演習を視察したときに記念碑に建てられたものだ。以下のレポートは旧漢字は新漢字、カタカナはひらがなに変換している。

【御使御差遣記念碑】
 表面に上記のとおり刻まれ、「北海道庁長官戸塚九一郎書」と添えられていた。裏面には漢字とカタカナ(以下はかたかな)でおおよそ次のとおり刻まれていた(一部不明)。「昭和十一年仲秋 今上天皇陛下陸軍特別大演習御統監の序を以て前後〇〇〇〇〇〇に〇り〇しく本道各地を御巡幸あらせられ功労を賞め徳行を彰し給せ更に畏き御恩召により道内九十二箇所に御使差遣の御儀あり我が白人部落矯風会も亦九月二十九日御使岡部侍従御使差遣の光栄に浴し会長吉田菊太郎より恭しくも土人生活改善状態並びに部落発展の概況等に就き御伝奏を乞い奉しり聖慮の草莽に及ぶ只々恐縮感激の極にして部落全民銘肌骸骨〇〇至誠奉公の信念を堅久し各自業務に精励し智徳を磨き心身を鍛え協心〇力部落福祉の向上に努め以て洪大無辺なる皇恩に報ひ奉らんことを期茲に皇紀二千六百年の隆運に当たり御使差遣記念碑を建立し之を千載の後世に伝ふと云爾 昭和十五年九月 白人矯風会長 吉田幾太郎 謹撰」

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