令和7年(2025)2月吉日 幕別町新町駐車場~(国道38号線)~十勝中央家畜市場・畜魂碑~相川小学校跡(万城目正生家)~蝦夷文化考古館~線路沿いの道を戻る~金比羅神社~駐車場 15.8km 2時間18分
幕別町の市街に戻ってきて、野球場のところに幕別町発祥の地があった。さらにその脇に幕別町開基100年記念モニュメントがあった。
【幕別町発祥の地】
上記のとおり表面に刻まれ、その下に「幕別町長 林照男書」と添えられていた。裏面には次のとおり刻まれていた。「幕別町発祥の地 昔、幕別は、うっそうたる樹木が空をおおい、アイヌ民族が川辺に居住、自然の恵みを享受していた。
明治十五年、止若の地に本州から最初の移住者があり、二十二年には、明野に開拓の鍬が下ろされた。やがて、帯広、釧路間の道路が開通し、「武山市街」「猿別市街」が形成され幕別の重要な拠点となった。
明治三十年、十勝外四郡各村戸長役場から、幕別(まくべつ)、止若(やむわっか)、白人(ちろと)、別奴(べっちゃろ)、咾別(いかんべつ)、凋寒(しぼさむ)、蝶多(ちよた)の七か村がわかれて、幕別他六か村戸長役場が猿別に設置された。これが幕別町の誕生である。その後、明治三十九年四月、五か村を一村とした「幕別村」となり、大正時代を経て、昭和二十一年、町制が施行され現在に至った。
ここに先人の苦労を偲び、開拓の偉業をたたえるとともに、大いなる遺産を受け継ぎ、幕別二世紀に向け、飛躍の証として、開基百年並びに町制施行五十周年を記念し、この碑を建立する。
平成八年(1996)十月一日 幕別町」
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