マタイの福音書第25章31節~(最も小さいもの)

40マタイの福音書

令和7年(2025)2月15日(土) ホープ札幌教会

31人の子が、その栄光を帯びて、すべての御使いたちを伴って来るとき、人の子はその栄光の位に着きます。
32 そして、すべての国々の民が、その御前に集められます。羊飼いが羊と山羊とを分けるように、彼らをより分け、
33 羊を自分の右に、山羊を左に置きます。
34 そうして、王は、その右にいる者たちに言います。『さあ、わたしの父に祝福された人たち。世の初めから、あなたがたのために備えられた御国を継ぎなさい。
35 あなたがたは、わたしが空腹であったとき、わたしに食べ物を与え、わたしが渇いていたときに、わたしに飲ませ、わたしが旅人であったときに、わたしに宿を貸し、
36 わたしが裸のとき、わたしに着る物を与え、わたしが病気をしたとき、わたしを見舞い、わたしが牢にいたとき、わたしをたずねてくれたからです。』
37 すると、その正しい人たちは、答えて言います。『主よ。いつ、私たちは、あなたが空腹なのを見て、食べる物を差し上げ、渇いておられるのを見て、飲ませてあげましたか。
38 いつ、あなたが旅をしておられるときに、泊まらせてあげ、裸なのを見て、着る物を差し上げましたか。
39 また、いつ、私たちは、あなたのご病気やあなたが牢におられるのを見て、おたづねしましたか。』
40 すると、王は彼らに答えて言います。『まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。』
41 それから、王はまた、その左にいる者たちに言います。『のろわれた者ども。わたしから離れて、悪魔とその使いたちのために用意された永遠の火に入れ。
42 おまえたちは、わたしが空腹であったとき、食べる物をくれず、渇いていたときにも飲ませず、
43 わたしが旅人であったときにも泊まらせず、裸であったときにも着る物をくれず、病気のときや牢にいたときにもたずねてくれなかった。』
44 そのとき、彼らも答えて言います。『主よ。いつ、私たちは、あなたが空腹であり、渇き、旅をし、裸であり、病気をし、牢におられるのを見て、お世話をしなかったのでしょうか。』
45 すると、王は彼らに答えて言います。『まことに、おまえたちに告げます。おまえたちが、この最も小さい者たちのひとりにしなかったのは、わたしにしなかったのです。』
46 こうして、この人たちは永遠の刑罰に入り、正しい人たちは永遠のいのちに入るのです。

(説明)
 最も小さいものに収斂される。マザーテレサが最も影響を受けた聖句。あなたも言って同じようにしなさい。良き様マリア人のように。親切だけではなく、正しいことをしなければならない。本当に困っている人に優しく哀れむ。貧しい人に対し無関心である。人は愚かであり、永遠の刑罰を受ける。この節はキリスト教でも避けたがっている。ガザでの虐殺は間違っている。永遠の命を与えられると言う事はものすごい祝福であり、最後のメッセージであるポイントは4つ困っている人への具体的な救済。
1つ目、シンプルな愛を持って行動すると言うこと。ゴルフコンペはやっている教会があるが、ゴルフをやると頭の中がゴルフだけになる。
2つ目、終わる日の日の裁きにおいて、正しいことを行ったかどうか証拠が記録されている。
3つ目、シンプルな行動として、隣人と神を愛しなさいにつながっているアガペー。
4つ目。最後のメッセージ。シャーロックの名言、この世でどんな違いがあろうとも、キリストの裁き主から、羊の数と数として数えられるものでなければ、あなたの1周は何の役にも立たない。


参考箇所
 マタイ5-7 あわれみ深い者は幸いです。その人たちはあわれみを受けるから。

 

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