主の最後の夜における告別説教

43ヨハネの福音書

250222 主の最後の夜における告別説教、我らへの無限の愛 ホープ札幌教会 斉藤牧師

 先週までマタイの福音書25章の最後の説教、再臨がある、裁きがある。その時に分けられることを話したが、今日からはヨハネの福音書。マタイ、マルコと違い、その後イエス様が十字架に掛けられるまでのヨハネの話。パウロ派とヨハネ派に分けられる。パウロがエベレストの頂上とすると、ヨハネは麓の大水源に例えられる。深みがある。

 この数時間後につかまる。自分のことは横において弟子たちを心配される。人間でもあるから苦しみを味わう。鞭で拷問を受けて、十字架に掛けられる。一気に殺されない。イエス様のようになりなさいと言われる中で、自分がイエス様になったとしたら落ち着いて入れらるか。弟子たちを励まし、平安をさとす。自己中心性がゼロ。ポイントは5つ。

ヨハネの福音書 14章

1 「あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。

※キリスト教ならでは。神を漠然と信じるのではなく、一体である神とイエス様を信じる。神が大きすぎるので、イエス様が仲介者となってくれている。これがキリスト教の確信。

2 わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。

※家が与えられることは感謝すべきこと。いろいろ仕事や家族のことがある中で、最後は天に行けるという約束がある。固く信じるために信仰を強めなければならない。いつも供にいてくれている。

3 わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです。

4 わたしの行く道はあなたがたも知っています。

5 トマスはイエスに言った。「主よ。どこへいらっしゃるのか、私たちにはわかりません。どうして、その道が私たちにわかりましょう。」

6 イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。

※この話を聞いてショッキングだった。この世は相対的と考えていたが、そこを否定している。オンリーイエス。他は認めていない。富士山の頂上にはいくつかの道があるが、それを否定している。学者等の多くの知者は否定する。ありがたい話。創造主である唯一の神。

7 あなたがたは、もしわたしを知っていたなら、父をも知っていたはずです。しかし、今や、あなたがたは父を知っており、また、すでに父を見たのです。」

8 ピリポはイエスに言った。「主よ。私たちに父を見せてください。そうすれば満足します。」

9 イエスは彼に言われた。「ピリポ。こんなに長い間あなたがたといっしょにいるのに、あなたはわたしを知らなかったのですか。わたしを見た者は、父を見たのです。どうしてあなたは、『私たちに父を見せてください』と言うのですか。

10 わたしが父におり、父がわたしにおられることを、あなたは信じないのですか。わたしがあなたがたに言うことばは、わたしが自分から話しているのではありません。わたしのうちにおられる父が、ご自分のわざをしておられるのです。

11 わたしが父におり、父がわたしにおられるとわたしが言うのを信じなさい。さもなければ、わざによって信じなさい。

12 まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしを信じる者は、わたしの行うわざを行い、またそれよりもさらに大きなわざを行います。わたしが父のもとに行くからです。

※ イエス様が奇蹟を行ったことを信じる。異端ではこの時だけだと言われている。私が父のもとに生くから。イエス様がいなくなって精霊様が下り、ペテロが説教したら一気に3千人来たのが予言されていた。

13 またわたしは、あなたがたがわたしの名によって求めることは何でも、それをしましょう。父が子によって栄光をお受けになるためです。

14 あなたがたが、わたしの名によって何かをわたしに求めるなら、わたしはそれをしましょう。

15 もしあなたがたがわたしを愛するなら、あなたがたはわたしの戒めを守るはずです。

※ 三位一体の神。父・イエス・精霊は一体。「わたしの名によって何かをわたしに求めるなら」とはそれまで言っておらず、イエス様がそれをしてあげますと言うこと。その際、三位一体ということを強い思いで祈らなければならない。

16 わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです。

17 その方は、真理の御霊です。世はその方を受け入れることができません。世はその方を見もせず、知りもしないからです。しかし、あなたがたはその方を知っています。その方はあなたがたとともに住み、あなたがたのうちにおられるからです。

18 わたしは、あなたがたを捨てて孤児にはしません。わたしは、あなたがたのところに戻って来るのです。

19 いましばらくで世はわたしを見なくなります。しかし、あなたがたはわたしを見ます。わたしが生きるので、あなたがたも生きるからです。

20 その日には、わたしが父におり、あなたがたがわたしにおり、わたしがあなたがたにおることが、あなたがたにわかります。

21 わたしの戒めを保ち、それを守る人は、わたしを愛する人はわたしの父に愛され、わたしもその人を愛し、わたし自身を彼に現します。」

22 イエスカリオテでないユダがイエスに言った。「主よ。あなたは、私たちにはご自分を現そうとしながら、世には現そうとなさらないのは、どういうわけですか。」

23 イエスは彼に答えられた。「だれでもわたしを愛する人は、わたしのことばを守ります。そうすれば、わたしの父はその人を愛し、わたしたちはその人のところに来て、その人とともに住みます。

24 わたしを愛さない人は、わたしのものではなく、わたしを遣わした父のことばなのです。

25 このことをわたしは、あなたがたとっしょにいる間に、あなたがたに話しました。

26 しかし、助け主、すなわち父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。

※三位一体を信じれば、パブテスマを受ければ、精霊が住む。神との関係性が強まると迷いがなくなる。働き手を送ってくれと言ったら来る。信者の醍醐味。最初はそうでなかったが、聖書を読み、神様とのチャンネルがつながるとそうなる。

27 わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしててはなりません。恐れてはなりません。

※ここの平安とは、神とともに歩むという平安という意味。世の中に色々あるが、神=精霊がともにいる平安。それが真の平安。怯んではならない、恐れてはならない。最高の友達のようなもの。それは聖書をきちっと読み続ける。足しても引いてもダメ。祈るという関係性を持つ。イエス様が作ってくれた教会に集う。人は関係性の中で生きている。自分の中にキリストを作りなさいといっている。地上の中での訓練でイエス様に似たものになっていく。人の為に命を捨てる。塩狩峠がそうだった。そのような行いをできるようになる。

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