250315 いつも神の御前にいると自覚して生きることは最も重要なこと ホープ札幌教会 斎藤牧師
神様はいつもいつまでも一緒に心の中に住んでいいただている。ありがたい話。いつも神様が見ておられる。私たちとの交わりを求めている。そういうことは人間社会の中で意識できないことが多い。神様は求めてほしいが、応答しないのは悲しい。
マタイの福音書6章1~9
1 人に見せるために人前で善行をしないように気をつけなさい。そうでないと、天におられるあなたがたの父から、報いが受けられません。
2 ですから、施しをするとき、偽善者たちが人にほめてもらおうと会堂や通りでするように、自分の前でラッパを吹いてはいけません。まことに、あなたがたに言います。彼らはすでに自分の報いを受けているのです。
3 あなたは、施しをするとき、右の手のしていることを左の手に知られないようにしなさい。
4 あなたの施しが隠れたところにあるようにするためです。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。
5 また、祈るとき偽善者たちのようであってはいけません。彼らは人々に見えるように会堂や大通りの角に立って祈るのが好きだからです。まことに、あなたがたに言います。彼らはすでに自分の報いを受けているのです。
6 あなたは、祈るときには奥の自分の部屋に入りなさい。そして、戸をしめて、隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。
7 また、祈るとき、異邦人のように同じことばを、ただくり返してはいけません。彼らはことば数が多ければ聞かれると思っているのです。
8 ですから、彼らと同じようにしてはいけません。あなたがた求める前から、あなたがたに必要なものを知っておられるからです。
9 だから、こう祈りなさい。『天にいます私たちの父よ。御名が聖なるものとされますように。』
マタイの5~6章は山上の説教。ロイドジョンズの「山上の説教」を読んで勉強になった。私たちの行いを主はご覧になっていることを自覚しているのかどうか。恐ろしいことだが、指針が与えられる。逆のことは、神様のことを意識していないこと。信者になっても多い。基礎中の基礎で、死ぬまでの一生の課題。
施し、善行を行うときの注意。困っている人に施しをすることと祈りをすることは当然の前提。その上でやり方を述べている。憐れみ、優しみがない、避けている人はクリスチャンでない。人前に良いことして、人に褒められたいとすると、父から報いを受けられないと注意している。そのことをあなたのために止めなさいと言っている。敬虔なふり、クリスチャンを装っても、神様はわかる。
右手がしていることを左手が知られないようにしなさいとは、難しいことを言っているようだが、これは、プライドとか傲慢につながらないようにすること。良いことをしてもすぐに忘れること。人から報いを受けたいとか、褒められたいと思わないこと。私たちも良いことをして、賞賛を受ける場合があるが、その時に世の中を意識すると報いを受けることができない。マタイの25章のタラントの教えを思い出すこと。自分の栄光のためにやらないこと。
へブル人への手紙4章12~13節
12 神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分けるまで刺し貫き、心のおこいやはかりごとを見分けることができます。
13 神の御前であらわでない被造物はありません。神の目には、すべてが裸であり、さらけ出されています。私たちは申し開きをするのです。
神様に誤魔化しようがない。レベルが違う。私たちは裸。神様の前で素直に罪を認めて、神に仕える人になるととても楽になる。
マタイの福音書16章
26 人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の益があるでしょうか。そのいのちを買い戻すのに、人は何を差し出せばよいのでしょうか。
27 人の子はやがて父の栄光を帯びて、御使いたちととも来ます。そしてその時には、それぞれの行いに応じて報います。
祈りほど大事なものはない。祈り方も家の奥で戸を閉めて隠れて祈る。神様と一対一になりなさいということ。神様は自分の生んだ人と交わりを持ちたい。朝のデボーション。神様に話しかけるのは最高の時間帯。そうすると神様は喜ばれる。私も信者になった時、最初は聖書を読むだけだった。祈ることが身に付くまでは時間がかかった。聖書を研究、勉強するだけは、マイナス。神様と接点がない。
エレミヤ書23章
23 わたしは近くにいれば、神なのか。―主の言葉―遠くにいれば、神ではないのか。
24 人が隠れた所に身を隠したら、わたしは彼を見ることができないのか。―主のことば―天にも地にも、わたしは満ちているではないか。―主のことば― 神様はどこにでもいて、私たちが語り掛けることを待っている。宇宙の果てにも、自分のそばにもいる。
マタイの福音書28章
20 わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。
イエスの弟子に対し、全てのことを守るように教えなさいという。そのために私がいつもいるんだということ。自分の成長を気にすること。神様とのチャンネル、アンテナを張り巡らせる。次回は祈り方の基本をする。
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