イレネー像・奥野小四郎翁顕彰碑

石碑・銅像・胸像(歴史上の人物)

令和7年(2025)3月29日(土) ドリームタウン白樺~チヨマトウ~十勝川河川敷~帯広空襲碑~十勝競馬場跡~十勝川改修記念碑~十勝競馬場跡~帯広競馬場 約13km 2時間

 今日の訪問地の最後は、帯広競馬場である。ここは何度も訪問しているが、標記の件についてはレポートしていなかった。

【イレネー像】
 碑文や説明板はないが、ネットから転載。
 イレネーは種牡馬の名前。1908年3月にフランスで生まれた青毛のペルシュロン種である。当時軍馬改良育種のため設置された馬政局の丹下謙吉・土肥原鑑両氏が、明治時代末期の1910年、当時の価格で2400円で購入・輸入し、11月28日に音更町駒場にある十勝種馬牧場に種牡馬として入場した。つまり、北海道にやってきてから100年以上たつというわけだ。イレネーは生涯中約600頭というたくさんの産駒を輩出した。ペルシュロン品種は大型馬で、力強いことで知られ、開拓期の十勝で農耕馬などとして大いに活用された。1928年5月に事故死するも、長い期間にかけて十勝の馬産を支え、十勝の開拓の基礎を築いた。そして、このイレネーの功績は、後のばんえい競馬のばん馬のルーツともなっている。

【奥野小四郎翁顕彰碑】
 畜産農業王国十勝建設の先覚者として又偉大な指導者として奥野小四郎翁の名は高く有畜営農方式の理想顕現就中多年十勝産馬改良に盡した功績は絶大である。
 翁は明治十三年兵庫県に生れ夙に農業に志し明治三十七年開拓の大志を抱いて北海道に渡り上川郡士別町において農場経営に従事したが北海道の開拓上未開の地十勝開拓の重要且つ有望な〇〇に着眼し理想に燃えて明治四十一年河東郡士幌村に移住し爾来十勝人として艱難辛苦四十余年遂に今日の隆盛を招来するに至ったのである
 天下の景勝狩勝が望洋雄大の景観を以て実によく大十勝を表現しているように翁の悠揚迫らざる風貌と温順大度の人柄も亦如何にも大十勝を抱擁しこれを代表する大器の感が深くこの人柄を熱意が世人の信頼と教養を得てよくこの大をなしたものと信ずる
 翁は多年十勝畜産組合長に重任したのをはじめ中央および地方の各種団体の役員をも努め又衆望を担って北海道会議員に四回衆議院議員に二回選出せられ更に昭和二十年には帯広市長に選ばれて終戦直後の混乱窮乏の市政収拾にあたり日夜心血をそそいで再建の基礎を固める等広く道政市政国政に参画して直接或いは間接に十勝の開拓発展に貢献された功績は絶大であってこのことは藍綬褒章をはじめ幾多の表彰及び感状を授与されたことをとっても明である
 茲に全十勝を挙げて翁の偉功を人徳を後世に伝える為この碑を建立し以て海嶽の恩に報いられた
 清風爽快の感一入である 
 昭和三十一年六月 村上龍太郎撰

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