朱舜水記念碑

石碑・銅像・胸像(歴史上の人物)

令和7年(2025)5月21日(水) 東京都文京区弥生1-1

 仕事で東京大学を訪問した。自分には縁のないところだと思っていたが、訪問することができた。会議まで時間があるので、キャンパス内を散策すると、農学部の敷地に標記の石碑を見つけた。説明板には次のとおり刻まれていた。

【朱舜水記念碑】
東京都指定旧跡 朱舜水記念碑
  所在地 文京区弥生一の一 東京大学農学部
  標 識 昭和一二年九月二二日
  指 定 昭和三○年三月二八日
 朱舜水(一六○○〜八二)は日本に帰化した明の遺臣です。名は之瑜、舜水は号です。祖国明の復興を図るが果たせず、万治二年(一六五九)長崎に来た際、柳川藩の儒学者安藤省庵の援助を受けて亡命しました。寛文五年(一六六五)、小宅生順の推挙で水戸藩の賓客となり、水戸藩徳川家の中屋敷(現在の東京大学農学部の南東側)に入り、生涯この地で過ごします。学風は朱子学・陽明学の中間といえる実学(実行の学)で、空論を避け、道理を重んじ、水戸光圀や安積澹泊、林鳳岡、木下順庵らに大きな影響を 与えます。天和二年(一六八二)に八三歳で没し、常陸太田の瑞竜山に葬られました。
 この記念碑は、日本渡来二五○年祭にあたり水戸藩邸内に朱舜水記念会が建てたものですが、農学部内で移転をしています。そのため、現在記念碑が設置されている農学部正門付近は水戸藩邸の区域ではありません。
  平成二四年三月 建設  東京都教育委員会

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