郡山市の史跡

産業遺産

令和7年(2025)7月2日(水) 郡山市内(郡山駅前~郡山市道標、安積国造神社、朝ドラ「まんぷく」主人公モデル、良斎先生の像、安積発祥の地、奈良平安時代陸奥国安積郡衛趾、郡山地名発祥の地)

 福島県に出張のため郡山市泊。一人で飲みに行く前に市内散策。

【郡山道路元標】郡山市中町11
 概要のみ記す。江戸時代の奥州街道の道標で、安積国造神社の表参道の正面にあたる場所に建てられた。道路改修の際に撤去されるところを故・鈴木忠秋氏が、保管し、今回の中町モール化事業に伴い復元。その隣に水道もあった。
【郡山の水道史・屋台歌舞伎】
 江戸時代明和年間、清水台・虎丸の湧水の地に井戸を掘り水道を引いた。数千メートルにも及んだ。
 文政7年、宿場町に昇格した郡山は、それを祝い山車の豪華さを競った。

 安積圀造神社の入口に以下の史跡があった。

【朝ドラ「まんぷく」主人公モデル・安藤仁子本貫の地】
 標記の件について説明板があった。概要を記す。江戸後期の大学者安積艮斎(重信)もこの屋敷で生まれました。58代宮司安藤業重の次男安藤重宣は、二本松神社社家安藤氏の初代となり、重宣の次男は安藤重信と称し、重信の娘が「まんぷく」主人公のモデル安藤仁子で、日清食品創業者安藤百福の妻です。
【良斎先生之像】
 さらにその隣に、標記の像があり細かい字で説明板もあったが、ネットで調べると幕末の巨大な思想学者だった。
 安積 艮斎(あさか ごんさい)(寛政3年3月2日〈1791年4月4日〉 – 万延元年11月21日〈1861年1月1日〉)は、幕末の朱子学者。江戸で私塾を開き、吉田松陰、岩崎弥太郎、高杉晋作、小栗忠順、栗本鋤雲、清河八郎らが門人として学んだ。

【安積国造神社・安積発祥地】郡山市 清水台1-6-23
 御由緒は、西暦135年というからやたら古い。以下、ウイキペディアの概要より。成務天皇5年、比止禰命が初代安積国造に任ぜられて安積国を建国し、神社を創建して和久産巣日神と天湯津彦命禰命を祀ったのが起源とされる。比止禰命の死後には比止禰命が、坂上田村麻呂の東征の際には八幡大神が同時に祀られ、八幡宮とも呼ばれる。東北遠征時の源頼義・義家が戦勝祈願を行なったという記録も残る。

【奈良平安時代陸奥国安積郡衙址】
 縦形の標柱に上記のとおり刻まれ、両サイドに「虎丸長者伝承之地 清水台遺跡」「郡山地名発祥之地」と刻まれていた。

コメント