令和7年(2025)7月4日(金)
会津若松市内には史跡が多く、ようやく今日の目的地「会津若松城」を訪問することができた。再建城であるが仕方ない。お城の上からは会津磐梯山が見える。江戸時代の殿様と同じ風景を見ていると思うと感慨深い。長年訪問したかった城の一つであるが、訪問できてラッキー。お城のホームページから概要を転載する。下城後、茶室を訪問する。
【会津若松城(鶴ヶ城)】
名だたる名将たちが治め幕末には最後まで武士の誇りを貫き通した会津藩のシンボル
至徳元年(1384)に葦名直盛が築いた東黒川館を起源とし、文禄2年(1593)に蒲生氏郷が東日本で初の本格的な天守閣を建てて「鶴ヶ城」と命名しました。慶応4年(1868)の戊辰戦争では新政府軍の一か月に及ぶ猛攻に耐え、難攻不落の名城として知られるようになりました。明治7年(1874)までに天守閣をはじめとするすべての建物が取り壊されましたが、昭和40年(1965)に天守閣が再建され、平成に入り茶室や隅櫓も復元されました。平成23年(2011)には、屋根瓦が幕末当時の赤瓦にふき替えられました。







コメント