簗田家屋敷跡・紀州屋・旧会陽医院

古い建物

令和7年(2025)7月4日(金) 福島県会津若松市

 会津若松の大町通りは史跡だらけだ。

【会津商人司簗田家屋敷跡】会津若松市大町四ツ角
 石碑に上記のとおり刻まれ、その横に「会津松平十三代 松平保定書」と添えられている。ここには「大町四つ角旧札の辻」と刻まれていた。
 ネットによると、この地の説明は次のとおり。大町四つ角は人通りが多く、高札場としても用いられ「大町札の辻」と呼ばれていたそうだ。さらに重要な拠点であったため、東南角に梁田家、東北角に倉田家の検断(警察や裁判を総括する役職)屋敷があったそうだ。現在、大町四つ角付近には「會津商人司簗田家屋敷跡」という石碑が建てられており、その歴史が記録されている。城下町らしく、交差点が鉤の手になっている。

 通りを進むと「紀州屋1934」という看板の古いお店があった。(福島県会津若松市大町1丁目1-57)現在はカフェのようだ。
 さらに進むと、レトロな家と説明板があった。野口英世博士ゆかりの医院跡であり、説明板があった。

【野口博士と旧会陽医院】
 この建物はアメリカから帰朝し、最新の医療技術を身につけた渡部鼎 先生によって、明治23年(1890)に開業された旧会陽病院 である。幼少の頃に左手の火傷を負った野口英世 博士(幼名:清作)は先生の執刀で手術を受けた。医術の奇跡に感動した博士は、翌年猪苗代高等小学校 を卒業すると、医学の道を志し、会陽医院に書生として入門した。
 博士はこの会陽医院 で猛烈に勉強し、現存する2階の書生部屋で深夜まで英語や仏語、ドイツ語の原書を読みふけっていたという。明治29年夏に上京するまでの約3年間、ここで多感な青春時代を過ごした。女学生山内ヨネ との初恋もこの時代だった。
 のちにノーベル賞 候補にもなった博士が平成16年(2004)秋、新千円札のモデルに採用された。
 

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