蒲生氏郷の墓

古墳・ストーンサークル・墓所

令和7年(2025)7月4日(金) 福島県会津若松市栄町2-12

 大町通りを少し外れると、会津若松の基礎を作った文武両道に優れた名将「蒲生氏郷」公の墓があった。

【蒲生氏郷公】(1556~1595)
 江州日野城主蒲生賢秀の子、織田信長に仕え、その後豊臣秀吉に属し、天正18年会津入封。秀吉から奥羽仕置、奥羽の都督を命ぜられた。若松は東北と都と言われ、黒川の名称を若松に変えた。近江商人、松坂商人の影響を受け、ここにも商売繁盛のまちとした。七層の天守、四方石垣の名城が遺産となった。利休七哲の隋一の数奇大名の面影は、城内の茶亭麟閣に偲ばれる。利休切腹後、利休次子千少庵を保護し、千家再興に道を拓いた。霊名を「レオ飛騨」であるが、東北キリシタンの先駆け。文禄4年40歳で英雄は都で亡くなった。「限あれば吹かねど花は散るものを心短き春の山風」が辞世の句。

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