猪苗代城(亀ヶ城)

城郭・チャシ

令和7年(2025)7月5日(土) 猪苗代駅~亀ヶ城~猪苗代市図書歴史情報館~土津神社~会津藩主保科正之墓所~猪苗代駅 約8km

 会津若松市を出発し、JRで猪苗代市に向かう。猪苗代市は野口英世博士が生まれたところであり、駅から南の方に記念館があるようだが、お城などとは反対の方であり、個人的に野口英世博士の功績に疑問もあるので、訪問はあきらめてお城の方に歩いていく。
 しかし、駅前が寂れている。市なのにこんなに寂れているのかと感じたが、2kmほど走ると中心街はお城の東側の方であった。
 猪苗代小学校の方に左折して、いよいよ猪苗代城に登城である。お堀や石垣などは少なく、高台跡が天守閣あとだったようだ。

【亀ヶ城跡】
 亀ヶ城公園は、磐梯山南麓の泥流地形突端部に、中世この地を支配した猪苗代経連(いなわしろつねつら)が建久2年(1191年)、本格的な築城法によって築いた日本最古の平山城の城跡である猪苗代城跡とその周辺を整備した公園です。
 猪苗代城は慶応4年戊辰戦争で落城するまでの600年余、石垣ひとつ崩れなかったといわれています。
 その後江戸時代の一国一城令の際にも城代がおかれ、幕末まで会津藩東の要とし残されました。
 戊辰戦争時に建物等は焼失してしまいましたが、明治38年(1905年)小林助治、才治父子を中心とした町内の有志が、私財を投じて桜やツツジを植栽し、東屋や観月橋を設けて公園として整備しました。

 説明板には次のとおり刻まれていた。「三浦市の一族である佐原義連は「奥州征伐」の軍功により頼朝から会津四郡を与えられた。その子盛連には六男があり、長男である大炊介経連が猪苗代を領して猪苗代氏を称した。経連は、磐梯山南麓の弦峰の地に建久二年(1191)亀ヶ城を築いたと伝えられている。以後、14代盛胤まで猪苗代氏代々の居城だったが、天正17年(1589)「摺上原の戦い」で葦名方が伊勢勢に敗退したことにより、盛胤湖南横沢に引退し、猪苗代城主はここに終わりを告げた。しかし、亀ヶ城は、江戸初期に出された一国一城にも破却されず、近世を通じて城代が置かれ、幕末の戊辰戦争によって焼失するまで会津藩東の要として残された名城である。

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