令和7年(2025)7月5日(土) 会津若松駅~鶴ヶ城~松平家墓所~飯森山(白虎隊自刃の地) 約10㎞
朝活で会津若松市内の史跡で、未訪問の松平家墓所と飯森山を走って訪問することに。しかし市内には史跡だらけである。

【髹(ぬり)の辻】会津若松市中央1-3-2
走り始めてすぐ大通りに、「髹(ぬり)の辻」なる石碑があった。ここは会津漆器問屋の、鈴善(天保3年創業)さんがある建物に隣接している。石碑には「外務大臣 伊東正義」と添えられていた。


【会津若松城甲賀町口門跡】会津若松市栄町275番
この意志が気は、郭外より若松城の郭内に入る門の石垣で、ここを界として内側を侍の屋敷、外側を町民の住居とした。土塁が築かれ、外濠がめぐらされていた様子が今もしのばれる。
鶴ヶ城に設けられた郭門は、全部で十六あったが、石垣が現存しているのは、この「甲賀町口郭門」のみ。また、戊辰戦争では、最大の激戦地のひとつだった。滝沢本陣から兵を引いた藩主・松平容保(かたもり)公は、この郭門にて、陣頭指揮を執ったが、主力は藩境に出払っていて、城に残るのは老兵ばかり。決死の覚悟で応戦するも、新政府軍の勢いは止まらず、容保公は、やむなく城内へ退却する。そうして、一ヶ月にも及ぶ、苛烈な籠城戦が幕を開けた。


コメント