西郷邸址

古い建物

令和7年(2025)7月5日(土) 会津若松駅~鶴ヶ城~松平家墓所~飯森山(白虎隊自刃の地) 約10㎞

 鶴ヶ城の北門近くに西郷邸址碑と説明板があった。

【西郷邸址碑】会津若松市追手町5−3
 石碑には「戊辰殉節 西郷邸址 子爵松平保男題」と刻まれていた。
 戊辰戦争で、この西郷家は悲しい結末を迎える。西郷家は重臣(藩祖以来)で戊辰戦争の際の当主は国家老1700石の西郷頼母近悳(ちかのり)でした。頼母は田中土佐と共に会津藩主松平容保(かたもり)に京都守護職辞退を進言しました。そのため容保から怒りを買い、家老職を解任されました。戊辰戦争がおこると、家老職に復帰し白河口総督として、戦いますが「白河口の戦い」で敗れ、会津へ戻ります。その後、長男・吉十郎を連れて会津から出ます。新政府軍が城下町に乱入したとき、家族ら21人は、邸宅で辞世の句を残して自決しました。妻・千重子の辞世の歌「なよたけの碑」は墓とともに市内善龍寺にあります。

コメント