令和7年(2025)7月5日(土) 会津若松駅~鶴ヶ城~松平家墓所~飯森山(白虎隊自刃の地) 約10㎞
福島県立博物館の敷地には、やたらと石碑がある。この司馬遼太郎文学碑の記載内容は得心。土井晩翠先生は、「荒城の月」を作詞した人だ。
【司馬遼太郎文学碑】
会津藩というのは、封建時代の日本人がつくりあげた藩というもののなかでの最高の傑作のように思える。「歴史を紀行する」1968(昭和43)年より。容保が、京を戦場に死のう、といったとき、慟哭の声がまず廊下からあがった。この声はまたたくまに満堂に伝播して、みな面を蔽って泣いた。「君臣、相擁し、声を放って哭けり」と、この情景を、劇的な表現で会津の古記録は語っている。「王城の護衛者」1968(昭和43)年より

【土井晩翠先生像】
土井 晩翠(どい ばんすい、1871年12月5日〈明治4年10月23日〉 – 1952年〈昭和27年〉10月19日)は、日本の詩人、英文学者。本名、土井 林吉(つちい りんきち)。
詩風は男性的な漢詩調で、女性的な詩風だった島崎藤村(『若菜集』など)と並んで「藤晩時代」と称された。また、瀧廉太郎の作曲で知られる『荒城の月』の作詞者としても知られ、校歌・寮歌なども多く作詞した。戦陣訓の文校正でも知られる。英文学者として、ホメーロス、カーライル、バイロンなどを翻訳している。日本芸術院会員、文化功労者、文化勲章受章者。

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