鶴田和也文学碑・開拓百年(鷲ノ巣農業協同組合)

石碑等(開拓記念碑)

令和7年(2025)7月20日(日) 北海道二海郡八雲町

 八雲町市街から、道道42号線を走り、国道277号線との交差点の手前に文学碑が鎮座する公園があった。コシャマイン記を書いた鶴田和也文学碑である。

【鶴田和也文学碑】
(表)不遜なれば 未来の 悉くを失う 鶴田知也書
(裏)昭和六十年六月十五日 鶴田知也文学碑建立期成会
(副碑)東京神学社神学校の学生だった鶴田知也は大正十一年に八 雲を訪れ、約六ケ月滞在した。九州生まれの青年の魂に、北海道なるものを満たすのに事 欠かなかった八雲を、鶴田知也は、のちに、「あの秋の紅葉の劇烈な美しさ、冬の大吹雪の厳粛な非情、などに対する感動は私を泣かしめるほどのものだった」と記した。同人雑誌「小説」に昭和十年「コシャマイン記」を発表し、 翌十一年第三回芥川賞を受賞した。作品の舞台、特に後段の コシャマイン終焉の地がピンニラの断崖、カムイミンラの淵とされている。 小説の全編を通じて流れる格調高い美しい文章は、常に世界平和と人類愛に貫かれている。
鶴田知也は「コシャマイン記」のみならず、八雲を題材にした小説や随筆等数十編を著しており、今こそ次代を担う子供達の為に、郷土八雲が名作の舞台になっていることを、語り継ぎ、情操を育み、未来への魂の架け橋ならんとするものである。鶴田知也は、日本野草の会会長として草花のスケッチを著し「画文草木帳」や「草木図誌」等の出版を通じ活躍すると共に、「農業、農民」等の農業雑誌を編集するなど幅広く文筆活動をしている。ここビンニラの丘に立つ文学碑はひとり八雲町のみならず、 国や北海道の協力をもって完成した、町民憩いの場所としての小公園たらんとするものである。昭和六十年五月十五日 鶴田知也文学碑建立期成会

 国道277号線に出てまた海の方に向かい、立岩会館のところに「開拓百年」の石碑があった。説明板や碑文はなく「昭和57年9月鷲ノ巣農業協同組合」とだけはめ込まれていた。

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