令和7年9月1日(月)恵庭市恵み野北7丁目
団地環状通が北海道々600号島松千歳線に交差する一画に本碑はあった。
【嶋松共同用水紀念碑】
石碑正面中央に「紀念碑」の文字が大書され,「島松共同用水」と添えられている。「紀年」とは,ある紀元から数えた年数を意味するので,用水組合結成から数えて35年を記念し建立したのだろう。碑側面に「昭和3年11月建立」とある。
基石には,歴代組合長(小柳三太夫,植松藤兵衛ら7名),用水功労者(新山常八,田中梅太郎,井上和助,西佐左ヱ門,植松藤兵衛,小柳三太夫,原田三十郎,岩井與三吉,瀧本国太郎,藤本豊槌,五十嵐多作),記念碑建設寄付者氏名等が刻まれている。
傍らの説明板には,「茂漁川水系は明治二十年頃(1887年),島松地区の造田に着目した原田三十郎氏,小柳三太夫氏(福井県人)の両氏が水路掘削を発意したが,当時においてはこの地方における水稲栽培に確信を持つ人がなく,他の人達の同意を得ることができなかった。両氏においては当時の価格で六百円(当時米六十キロ一円四十六銭)を投じて水路を啓開して造田に着手したものである。この成果は急に造田の熱を高める事になり,明治二十七年八月(1894年)には原田三十郎氏,小柳三太夫氏ら十一名が発起人となり,島松共同用水を設立して水利権を得たものである。この記念碑は先人の功績を讃え,昭和三年(1928年)に建立されたものである。恵庭土地改良区」とある。






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