令和7年(2025)9月15日(月祝)海道中川郡幕別町依田384-1
午後に時間ができたので札内を走ってみる。今日の目的地は若山牧水歌碑とグーグルマップ上に出てくる、幕別水田発祥の地である。なお、水田発祥の地は開発されたからかどうかわからないが、見つけることができなかった。
札内駅をまっすぐ南下し、河岸段丘に上る坂道を登ると、十勝幕別温泉グランヴィリオホテル横にあった。石碑をもう一つ発見できたラッキー。
【若山牧水歌碑】
石碑には達筆で次の通り刻まれていた。「幾山河こえさり行かば寂しさのはてなむ国ぞけふも旅ゆく 牧水」
その横の説明版には次のとおり記されていた。表面「若山牧水歌碑 歌人若山牧水が喜志子夫人を伴い、途別川右岸、吐月橋の辺りにあった黒田温泉を訪れたのは、大正15年(1926年)十月十八日のことでした。紅葉の季節でもありこの地の風光を愛でた牧水は、22日まで逗留し、十勝の歌人とも交流したと伝えられております。その黒田温泉は、昭和十一年(1936)廃業するに至り、牧水の足跡が消え去るを惜しむ十勝歌人の発起により、黒田温泉のあった地に、牧水の代表作である「幾山河こえさり行かば寂しさのはてなむ国ぞけふも旅ゆく」という自筆の書を刻した歌碑を建立しました。時は移り河川や道路の改修により、歌碑は路傍に忘れさられた如くにあったため、昭和四十八年(1973)牧水が逍遥したであろうこの高台に移設再建いたしました。幕別町 参考「幾山河こえさり行かば寂しさのはてなむ国ぞけふも旅ゆく」の歌碑は、全国に五か所あり、旅行雑誌等にも、史跡として広く紹介されております。」
裏面(概要)「旧黒田温泉より幕別町依田高台に移設建立
「幾山河こえさり行かば寂しさのはてなむ国ぞけふも旅ゆく」 この歌は牧水の代表作といわれておりますが、歌碑は牧水自筆の短冊を拡大して刻したものであります。
なお牧水が十勝で詠んだ歌は次の三音と言われております。
「池に落つる水は冬なりガラス戸にいてあそべる赤きあきつなり」
「おこしいそぐ炭火熾りつつ今は本降りとなりし雨かも」
「うつつなに聞こえし雨のしみじみと廂にひびくこの寝覚めかも」
黒田温泉 明治29年に発見された温泉で、幕別温泉にいたる日新坂の下、途別川の右岸、吐月橋のたもとにありました。大正2年から昭和11年まで営業したと伝えられております」





もうひとつ石碑があった。
【拓農之碑】
自然石に上記のとおりと「幕別町長林照男」と刻まれた黒御影石がはめ込まれ、碑文として次のとおり刻まれていた。「碑文 この碑は穣り豊かな大地を目ざし国営農地開発事業として昭和48年~62年に実施した古舞地区(受益面積120ヘクタール)の竣功記念碑である。昭和62年11月建立 北海道開発局帯広開発建設部 幕別町」




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