令和7年(2025)9月20日(土)斜里郡小清水町美和
国道334号線を走り、小清水町市街の手前に標題の顕彰碑が建立されていた。
【開拓顕彰之碑(小清水町美和)】
この地区は、三共農場の小作人によって開拓されたらしい。碑文は美しい詩のようになっていた。
「碑文
大正六年 入植六戸
三共農場 小作人
起伏険しい 原始林
血豆絶えねど 耕地は増えず
巨熊出没 被害甚大
朋友無惨 餓虎の牙
粗食に甚え 過労を堪え
造材作業で 年貢を払う
畑の管理は 妻子の務め
家族を支えた 農功場
昭和六年 待望久し
二十一戸の 自作農
民有未墾地買受資金貸付制度
償還多額で 一家奮闘
馬鈴薯と甜菜と牧場の沃野
同志の汗血 此処に在り
永遠に留めん その偉業
子孫に伝えん 開拓魂
川又秀夫 撰」
以下はネットからの拾いもので、転載する。「ここ美和地区にはそれ以前から入植者が居た。新潟県西蒲原郡中野小屋村字大友(現・新潟県新潟市西区大友)の越後団体が1905(明治38)年7月に、松前江差に渡り、1906(明治39)年に濤沸に来る。濤沸では同郷の関三郎治の案内で、網走支庁に赴き特定地を出願し、1戸5町歩づつ払下げ許可を得たのは美和19線付近に入植したのは5人。当時は馬と人がやっと通れるような道しかなく、着手小屋は佐藤市之助の大工が建てた。道路を刈り分け、小屋を建て開拓した。美和で軍用地に買上げされたところがあり、強制立ち退きに遭った者たちは東野地区、上徳地区に移転している。」




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