令和7年(2025)9月20日(土)斜里郡小清水町小清水217
今日の目的地、小清水町役場に到着した。役場庁舎は新しく「ワタシノ」との相性も付けられ、カフェやフィットネス、ランドリーなども設置され、町民が集える素晴らしい施設になっている。
役場の小公園内に、町の歴史上の偉人の胸像と石碑があった。


【横道彦吉銅像】
「碑文 横道彦吉氏は、明治二十年長野県上松村に生れ、十三歳のとき杣夫と
なり、同四十一年渡道したのち大正五年本村に来住、爾来四十二年間木材業を営み、今日に至る。この間、昭和三年に消防組頭に推され、引続き二十一年余団長として
消防団の育成発展に貢献し、同八年村議会議員となり、公平卓越せる識見を以て町行政の興隆発展に寄与すること九年、また郷軍分会長、小清水神社氏子総代、森林組合長、連合PTA会長等幾多の公職を歴任し、身を以てこれら進行にあたり、特に教育社会文化の興隆に深い理解と熱意を有し、率先して多くの私財を寄せられ、同二十二年学制改革による新教育の発展に尽力された顕著な功績とその崇高な奉仕の精神は、真に町民が郷土の誇りとして深く尊敬するところであり、昭和三十三年八月名誉町民の称号を贈らる。昭和三十三年十一月三日 建主 小清水町 銅像建立協賛会 設計制作 谷口百馬」



【八木吉助翁顕彰碑】
胸像ではないがレリーフとして標記の先人の顕彰碑が設置されていた。碑文には次のとおり記されていた。「八木吉助翁は、明治21年岩手県川井村に生れ、同41年都道、浦幌村及び置戸村を経て大正12年本村に来住、爾来39年間木材業、牧畜業、農業を営み今日に至る。この間翁は、畜産振興に深い識見と熱意を有せられ、昭和12年小清水競馬会長に推されてより引続き22年間、その責務を果たせると共に馬産の改良に貢献、また同22年4月村議員となり議長の要職に就かれ、村行政の隆盛発展に寄与すること4年、更に教育に対しても非常に関心と熱意をもたれ、昭和25年より7年間小清水高等学校初代PTA会長として数々の業績を残し、一方小清水高等学校校舎増築並びに図書整備のために多額の私財を寄せられる等、社会公共のために尽瘁された。この顕著な功績とその崇高な精神は、真に町民が郷土の誇りとして尊敬するところである。なお、同36年紺綬褒章を受章し、同37年9月には名誉町民の称号を贈らる。昭和37年12月3日 建立 小清水町顕彰碑建立協賛会」


通常は町民憲章の碑はレポートしないのだが、斜里岳の碑が美しかったので写真を掲載する。

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