津軽藩シャリ陣屋跡

城郭・チャシ

令和7年(2025)10月4日(土)斜里郡斜里町本町環状通

 グーグルマップ上で表示されているので、車で訪問してみる。ここは7年前にはなかった。新しい説明版が設置されている。説明版は次のとおり。

【斜里町指定史跡 津軽藩シャリ陣屋跡 ~北方警備の拠点、悲劇の舞台~】
 十九世紀初め、日本との通商を拒否されたロシアが樺太や択捉島を襲撃したことを契機に、幕府は東北地方の諸藩に蝦夷地(北海道)の警備を命じました。1807(文化四)年、斜里の沿岸防衛を担うことになった津軽藩は、この地に陣屋三棟を建造し、同年(旧暦)七月から藩士百余人が駐屯して警備にあたりました。
 しかし、宗谷や国後から急遽転進してきた藩士たちは備えが万全ではなく、厳しい寒さや栄養失調から浮腫病により、次々に命を落とします。翌年故郷に帰還した藩士は十七人にすぎませんでした。
 この悲劇は生き残った斎藤勝利により「松前詰合日記」に記録され、のちに「津軽藩士殉難事件」として知られるようになります。
 津軽藩士殉難百八十周年を記念し指定・建立
 昭和六十二年七月一日 再建 令和六年十一月三十日 北海道斜里郡斜里町
 

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