帯広市さかえ公園の史跡

石碑・銅像・胸像(歴史上の人物)

令和7年(2025)12月5日(土) 帯広市市西4条南9丁目1-8

 帯広に泊まった朝、コンビニに行く途中のさかえ公園で説明版を見つけた。

【防空壕跡】
 太平洋戦争末期、米軍による本土進攻が危惧されると、熊部隊と称されていた旭川の第七師団は、昭和19(1944)年、帯広を中心として道東一体に移駐しました。
 十勝会館を司令部とした同師団は、その隣の十勝公会堂と帯広商工奨励館にも部署を配置し、それらの前庭であった今のさかえ公園に防空壕を作りました。

 その後、日中に車で同公園を通ると胸像が見えたので、立ち寄ってみる。漢文の説明版だ。

【高倉安次郎君壽像】
 士立志而不移威功而不伐謙虚持己恵澤施世可謂君子人如高倉君則其人也歟君名安次郎重助君長子明治六年十一月生於江州土山友長移住北海道家干帯広業商早有令名歴任町会議員学務税務委員等大正元年為十勝農産並東部雑穀商組合長後宰開拓殖産電気電燈水力印刷諸会社者十五為取締役或兼社長選任北海道会議員凡二回又治十勝川水其績大著十一年有野付牛小学校建設之挙君寄付一万円充購地之費十二年更寄付中学校建設地元段餘官賞其功賜紺綬褒章及餘版君資性勤厚当時励精克成殖産興業之志家道亦日益栄而損費效力於公共事業者不假僂指知興不知皆頌其徳慕其風雅為君子人亦冝兵君壽己躋華甲有志晋謀欲建壽像而録嘉績請言予予眞君有舊誼不可辞乃記其梗概如是
 衆議院議員 勲二等 木下成太郎 撰
 大東文化学院教授 土屋 久泰 書

(AIによる現代語訳)
 士は志を立てて揺らぐことなく、功績があっても誇らず、謙虚に自らを律し、恵みを世の中に施す者を君子という。高倉君のような人物こそ、まさにその君子であろう。君の名は安次郎。重助君の長子で、明治六年十一月、江州土山に生まれた。父・友長とともに北海道帯広に移り住み、商業に従事して早くから名声を得た。町会議員、学務委員、税務委員などを歴任し、大正元年には十勝農産および東部雑穀商組合の組合長となった。その後、開拓・殖産・電気・電灯・水力・印刷など十五の会社を統括し、取締役あるいは社長に選任された。また北海道会議員にも二度選ばれた。さらに十勝川の治水事業に尽力し、その功績は大きかった。大正十一年には野付牛小学校建設のため一万円を寄付し、土地購入費に充てられた。十二年には中学校建設のためにも土地代を寄付した。これらの功績により、政府はその功を賞し、紺綬褒章などを授与した。君は生来、勤勉で厚い人柄であり、当時、殖産興業の志をもって励み、その成果を成し遂げた。家業も日ごとに栄え、公共事業への貢献は数えきれないほどであった。人々はその徳を称え、その風雅を慕った。まさに君子と呼ぶにふさわしい人物である。君が長寿を迎え、華甲(六十一歳)に達したことを祝い、寿像を建てようという志ある者が現れ、功績を記す文章を求めてきた。私は君と旧来の縁があり、辞退できず、このようにその概要を記したのである。衆議院議員 勲二等 木下成太郎 撰 大東文化学院教授 土屋久泰 書

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