ヲトケフブトと松浦武四郎止宿地

説明板

令和8年(2026)1月24日(土)河東郡音更町宝来南1条7丁目2番地

 ここは以前訪問しようとして見つけることができなかったが、今回はグーグルマップを頼りに彷徨うと、音更町サッカー場の横にその碑はあった。

【ヲトケフブトと松浦武四郎止宿地】説明版
 江戸時代の末、松浦武四郎は蝦夷地調査を行い、十勝地方内陸部の調査は、安政五年(1858)の三月と七月に行っている。音更川の川口は、「ヲトケフブト」といわれた。武四郎はそのニ~三丁ほど下流にあった惣乙名(トカチ場所総首長)シラリサの家に止宿した。その時、此の地の将来の発展を予想し、次の歌を詠んだ。
 このあたり 馬の車の みつぎもの 御蔵を立てて 積まほしけれ ー東蝦夷日誌ー
 内陸部の踏査には多くの困難を伴ったが、アイヌの人たちの協力のもと、その生活の実態や文化の重要性を学び、それを記録することに力をそそいだ。
 時代は明治時代となり、武四郎は明治二年(1869)に政府から開拓使の高官である「開拓判官」に任命された。武四郎は、蝦夷地の名称を改めるにあたって、「北加伊道」などの道名案を提出した。そのほか、多くの改革案を具申したが、受け入れられなかったので、翌年辞職した。
 武四郎は、数多くの蝦夷地調査報告書を作成し、後世に継承している。その中には、「東西蝦夷山川地理取調図」・「東西蝦夷山川地理取調日誌」・「十勝日誌」等があり、幕末期の十勝地方内陸部の様子が明らかにされている。音更町教育委員会 平成二十九年三月
 

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