吉良ヶ丘・故吉良逓送人殉職記念碑

山登り

令和8年(2026)2月7日(土)吉良ヶ丘79.1m 釧路郡釧路町昆布盛

 今日は吉方の南東方向にドライブし、低山&史跡巡りを実施する。本日の最初の訪問地は吉良ヶ丘。昆布森集落から少し西側の高台に記念碑と説明版が立っていた。記念碑のところが山頂なのだろうか。石碑と説明版を取材できた。頂上からは快晴の下、素晴らしい景色が広がっていた。石碑の近くにイチャルパの跡があったが、殉職した吉良氏はアイヌ民族だったからである。

【故吉良逓送人殉職記念碑】
石碑に上記のとおり刻まれ、裏面には次のとおり刻まれていた。「大正十一年一月十九日深夜風雪アリ昆布森郵便局逓送人吉良平治郎君独リ職二従イ集行ニ邁進ス時移リ烈風乱雪人跡ヲ絶ツニ至遂ニ力尽キ進退谷マルカ如シ而モ・・・以下不明」

 説明版には以下のとおり記されていた。

 この記念碑は、昆布森郵便逓送人吉良平治郎の困難に屈せず郵便物の逓送という職責を全うして殉職した事跡を記念したものである。
 平治郎の職務は釧路と昆布森の両局間およそ16キロメートルの道のりを郵便物を背負って運ぶことであるが、この責任ある仕事に何よりの誇りを持っていた。
 1922年(大正11年)1月19日の夜ふけ、吹雪のため深い雪道であったが、何日分もたまった郵便物を早く届けないと困る人もいるのではないだろうかと出発したが、途中で暴風雪になり、釧路から12キロメートルを隔てた宇宿徳内に通ずる坂道にさしかかった頃には、暴風雪はいよいよ激しくなった。その上襲ってくる飢えと身を切るような寒さに耐えて勇気を振って起上がり、着ていた外とうをぬいで郵便物が濡れないように行のうを包み、そうして帯を裂いてその上にしっかりと結び、さらに唯一の力として携えてきた竹の杖を傍らに立て、先端に手拭を結んで目じるしとした。
 それから救助をもとめて坂下の方へ歩き出したが腰のあたりまで深い雪と吹雪は全く彼を埋めてしまった。(平治郎37才の時である)
 その強い責任感は、1930年(昭和5年)4月文部省発行の高等小学修身書の中の第10課に責任ということでとりあげられました。1971年(昭和46年)2月発行の小学校第4学年用副読本「新しい生活」(北海道版)にも”ふぶきをついて吉良平治郎”の題で掲載されている。
 この吉良平治郎の事跡を永く後世に残すため1922年(大正11年)10月20日殉難の地、宿徳内の小高い丘に記念碑が建立され、山岸札幌逓信局長の平治郎をたたえる碑文が刻まれる。
 建立以来50有余年、記念碑も風雪に耐えて来たが荒廃はなはだしく、ここに至り釧路郵便局開局100周年記念行事として碑の改修築、柵および標識等の現状に再建する。1974年11月10日 故吉良逓送人殉職記念顕彰会 2022年(令和4年)殉職100周年を迎えるにあたり、アイヌ政策推進交付金事業を活用して記念碑周辺を整備する。2022年8月31日 釧路町

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