令和6年(2024)1月6日(土) 信濃小学校入口・信濃神社脇(北海道札幌市厚別区厚別中央4条3-6-1)
信濃神社の脇にも数多くの石碑を発見。「頌徳碑」のほか、「立志精励」などがあった。
【頌徳碑】
上記のとおり刻まれ、その下には漢文で次のように刻まれている。「河西由造翁ハ弘化ニ年七月信州上諏訪ニ生ル少壯東都ニ出テタルモ深ク時勢ニ感スル所アリ奮然北門開拓ノ雄心ヲ懐キ明治十六年四月三十九歳ノ時同郷ノ者數名ト共ニ此地ニ入植ス鬱蒼タル密林ノ中ニ率先開墾ノ業ニ從ヒ具サニ辛酸ヲ嘗ム後頻リニ各地ヨリ人ヲ招徠シ遂ニ一大部落ヲ形成ス名ケテ信州開墾地ト謂フ今ノ白石村字厚別即チ之ナリ翁ハ夙ニ衆望ヲ擔ヒテ村總代収入役官幣大社札幌神社造営會委員村農會長等ノ公職ニ携リ又信濃小學校及信濃神社ノ建築或ハ厚別驛設置ノ如キ公共事業ノ爲私財ヲ擲テ惜マス賞勳局其他ヨリ表彰セラレシコト枝擧ニ遑アラス明治四十四年七月病ヲ以テ歿ス時ニ年六十有七擧村哀悼空前ノ盛儀ノ裡ニ葬ラル翁ハ資性謹嚴思慮周密専ラ勤儉ヲ重シ郷黨ヲ愛撫シテ誘掖至ラサルナシ隣保協睦ノ美風今ニ遣レルハ畢竟翁カ薫陶ノ賜ニ外ナラス嗚呼偉ナル哉徳行ノ力茲ニ有志胥謀リ碑ヲ建テ翁カ勳徳ヲ勵シテ以テ後昆ニ傳フ 昭和十三年五月 北海道帝國大學教授正四位勲二等農學博士中島九郎撰竝書」
碑の背面には、11名の建設委員の氏名が刻まれている。歴史のあしあと 札幌の碑さんによると、この碑は厚別地区を開拓した河西由造氏の功績を讃えるために作られ、信州上諏訪に生れた氏は、東京に移った後、蔵前で米穀商を営んでいたが、札幌で商売をしていた同郷者から誘われ、意を決して渡道すると厚別に入植しました。その後郷里から人を招いて開拓に勤しみ、現在の川下の一部と厚別東・厚別中央・厚別西の一帯を拓いたそうだ。
【立志精励】
立志精励と刻まれた大きな岩の上に二宮尊徳の像が置かれていた。その由来として「昭和15年、紀元2600年の慶事に有志により建立されたが、第二次大戦中に兵器資材として供出。この度、札幌市立信濃小学校開校百周年事業の一環として先人の志を継承して記念増を再建。」と概要が刻まれ、建立者氏名が刻まれていた。平成5年9月25日に建立。
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