標津神社・標津駅転車台跡・ポー川史跡自然公園

廃線・廃駅

平成28年(2016)7月20日(水)標津町市街~ポー川史跡自然公園~標津市街 約8km 1時間

 中標津、標津、別海方面に出張。泊りは珍しく標津町。恒例の出張ランニング。標津の町の中からポー川史跡自然公園まで走って帰ることに。
 宿のホテル川畑から走り、まずは標津神社でお参り。ここは天明年間、1700年代の後半というから結構古い。

【標津神社の由来】
天明年間(1781~1789)海上安全と大漁を祈願して幕府の漁場請負人により創建されたものと伝えられ、その後、場所請負人等の寄進で随時体裁を整え、文化2年(1805)7月に社殿を改修、天保11年(1840)9月、場所請負人藤野喜兵衛が本殿及拝殿を改修造営した。天保13年(1842)吉田喜右ェ門・館村順衛両氏により花崗岩製石燈籠1対奉納された。元治元年(1864)会津藩絵師星暁邨が現在の神社周辺を「士部津三社」として描いている。明治33年9月神社創立を出願、同34年4月諸届出完了し公認神社無格社となる。同36年8月不幸にして社殿宝物備品古文書等37060円余一切灰燼に帰す。同45年6月社殿再建出願、大正元年10月竣工、昭和12年村社に列格、昭和16年、紀元二千六百年記念事業として社殿並社務所造営出願、同21年7月竣工、正遷座祭を斎行す。同29年3月19日法人神社として認証され現在に至る。
  
 その後、国道244号線を北上。武佐岳が遠くに見える。ポー川史跡自然公園まで走る。途中、もちろん誰にも会わずカラスとカモメばかり。特にカラスは、巣立った子が近くにいるのかやたらと攻撃を仕掛けてくる。町のホームページによると、歴史民俗資料館と開拓の村を備えた公園入口エリア、氷河期の生き残りといわれる湿原性植物が花を咲かせる国指定天然記念物標津湿原、約10,000年に及ぶ人類の足跡を刻む国指定史跡伊茶仁カリカリウス遺跡の3つのセクションから成り総面積約630ha、日本最大の山岳湿地尾瀬ヶ原と同等の面積を有し、知床周辺の歴史、文化、自然が融合した野外博物館としての機能をもつ公園です。とある。

 すべて周りきれないが、今度時間があれば周ろう。

 標津の町に帰り、元の駅前に転線施設の跡があった。数少ない鉄道遺産である。以下、ホームページから転載。

【標津駅転線跡】
釧網本線や根室本線とは別に、根釧台地に鉄路が広がっていたのをご存じだろうか。旧国鉄(JR北海道)の標津線と呼ばれる鉄道は、釧網本線の標茶駅から中標津を経由し標津まで続いていた他、中標津から根室本線厚床駅まで厚床支線が存在していた。根室標津駅は1937年10月30日に計根別~根室標津間が延伸したとき開業。約52年間営業し、1989年4月30日に全線廃止した。
旧標津線沿線には鉄道の跡が残されている場所が点在する。その一つが終着駅の根室標津駅である。海側にあった駅舎は現在ないが、駅構内にあった転車台(ターンテーブル)や錆びついた車輪が、草ぼうぼうの広場に残されている。草をかき分けて鉄道遺産を探すのは楽しいものである。

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