北見市散策(野付牛公園往復)

旅ラン

令和5年(2023)7月28日(金)4.4km 40分

北見駅前~北見神社~野付牛公園往復

北見出張3日目の朝、久々に野付牛公園まで往復ランニング。途中北見神社には石碑があふれていた。

【教育勅語碑】(転載は略)

【紀念碑】(何の記念碑かは不明)

【敬神】碑(奉祝豊受大神合祀五十年祭記念 平成十二年六月二十五日 神宮少宮司 藤岡重孝)

【北見神社創祀者 小泉正保大隊長顕彰碑】小泉正保は安政二年二月十三日、水戸にて出生。明治二十三年屯田兵第四大隊隊長に就任。三十年六月、根室より野付牛(現北見市)に転営。野付牛開拓の一歩を踏み出す。八月、開拓民の守護神、心の拠り所として野付牛市街地高台(現野付牛公園)に護国神社(現北見神社)を造営し天照大神を奉祀。屯田兵の運営に手腕を発揮し、北見市の基盤を築いた。北見市小泉の地名の由来となる。また全屯田兵が規律と仰いだ「屯田兵及家族教令」を起草した。明治三十六年、日露戦争に旅団長として出征。遼陽会戦、沙河会戦で活躍し、第三軍参謀長となる。旅順-遼陽全軍移動を指揮する中、事故で重傷を負い一線を退くが、翌年復帰し四十一年に台湾第一守備隊司令官となり治安維持に努める。四十五年には師団長として朝鮮半島に移駐し鴨緑江にてロシアの南下に備え守備にあたるが、大正三年、脳溢血に倒れ療養。同年、勲一等瑞宝章を受章。六年十月二十三日、六十三歳で逝去。正三位に叙せられた。ここにその多大な功績を讃え碑を建立する。

野付牛公園には、北光星の碑があった。

【凍裂の樹が凍裂の叫び聴く 北光星】碑の概略は次のとおり。北氏は、大正十二年三月五日、野付牛町仁頃に生まれ、昭和4年両親と十に北竜村に移転、同27年札幌に移転、同34年豊平区豊平三条三丁目に居を構える。昭和22年より家業の大工道具などを題材にした俳句活動を展開。30年彗星の如く、日本俳壇に登場。平成11年北海道文化章。平成131年病没。享年79歳。

中心街に戻ると「北見仁頃街道の碑」があった。

【北見仁頃街道】野付牛(北見市)の開墾以来、多くの小河川が常呂川、無加川に注いでいましたが、三条町の谷間を流れる入馬川もその一つです。大正初期、入馬川の上流にあったのが、私設の公園「三楽園」です。池付近にはあずまや、そば屋もでき、ニレやかしわの巨木が密生し、野趣に満ちた自然公園として人々や女学生の散策の場となったものです。その入馬川も、下水道の入馬川雨水幹線として、今も仁頃街道の下に生きています。

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