山鼻屯田兵像・本願寺道路終点・アンパン道路

その他旧街道・旧道

平成26年(2014)12月23日(火祝) 15.75km 2時間21分 中央区幌西小学校~山鼻屯田兵像~真駒内~澄川5条12丁目(紅桜庭園)~澄川~平岸~中之島~幌平橋~中島公園~ススキノ~大通

 昨日までは道路が凍ってしまい、さすがにランニングは厳しかったが、今日は若干の降雪と気温が低く、天候もまずまずなのでランニングコンディションはばっちり。
 ということで、三男のサッカー試合観戦後、南区澄川方面に走りに行くことに。今日の目的は澄川の紅桜公園と澄川開拓記念碑である。
 幌西小学校から南下し、札幌市中央図書館を過ぎて、国道230号線に出ると、札幌南警察署のところに、山鼻屯田兵の象を発見。これはいつも車だと気が付かない。
 像の横の碑文には、「明治8年開拓長官黒田清隆の建議で屯田兵制度が布かれ、翌明治9年東北各県から士族240戸が入植して山鼻兵村を開いた。屯田兵はあらゆる困難を乗り越えて山鼻地区を切り開き札幌市発展の基礎を築いた]。とされている。ネットによると往時の墓地跡に昭和42年8月に建てられたものだそうだ。
 そして、さらに南下し、五輪小橋を東に向かい目的地の澄川5条12丁目の紅桜庭園へ。なんと冬は閉園だそうだ。ここは断念して、すぐ近くの澄川開拓記念碑へ。それは住宅地の真ん中にひっそりとあった。碑までは急な階段を昇らなければならない。しかも最近誰も参っていないようで雪を漕いで登る。そこには、3つの石碑が並んでいた。真ん中は「豊受姫神」、左側はよくわからない。右側には文字がたくさん書いてあるが、割れて修復してありこれもよくわからないが、登り口の説明版によると左側が「山の神 熊の神碑」、右側が「新説大林碑」、真ん中が「豊受姫神碑」だそうだ。それぞれ明治43年、大正5年、昭和21年の建立。山の神は立木を伐るときに祀る神で、精進川官林伐採(明治5年)のころより残っていたものと考えられ、澄川最古の遺物だそうである。高台からは藻岩山がよく見える。

 次に平岸通りを北上する。もう目的はないのだが、これまた歴史の遺物を発見。澄川墓地のところ、ラーメンの純連の南側に「本願寺道路終点」の碑を発見。本願寺道路とは、今の国道230号線のことであるが、明治の時代に本願寺のお坊さんが伊達から札幌までの道路を拓いたことから「本願寺道路」と呼ばれている。碑の説明版によると「平岸開基110年を記念して、昭和55年11月に建立。明治3年7月、伊達市オサルベツで起工し、翌4年10月、平岸まで完成した道路の終点を明確にした碑である。この道は札幌が他と通じる初めての道らしい道で本願寺道路と呼ばれた。」

 そして、さらに北上すると、平岸小学校前で「アンパン道路」の看板を発見。説明によると「この道路は明治44年にできた平岸小学校前から国道36号線(弾丸道路)の月寒中央通7丁目までの全長約1.6kmの道路で、当時、豊平から月寒に移籍した豊平町役場に直接通ずる新しい道として造られました。起伏に富んだ土地での道づくりは容易ではなく、従事した兵士の労をねぎらうため、毎日5つのアンパンが配られたことから、『アンパン道路』と呼ばれるようになりました。昔の平岸の人たちが強く願って結実させた道は、いまも私たちの暮らしに寄り添いながらその役割を果たしています。」

 これは、歴史・道マニアの自分としては、思いもかけない発見である。今日は疲れたので、また、今度、ここは走ることにしよう。

 そして、さらに北上し、ススキノを走っていると、鴨々川の畔にレトロな古民家を発見。一級建築士の人が運営している「古民家gallery鴨々堂」というそうだ。これは大正末期に建てられて、今はギャラリーにしているそうだ。同様の山でフェイスブックもある。

 そして、大通りまで走り、地下鉄に乗って帰宅。
 しかし、今日は思いもかけない発見が数々。これだから街角ランニングやめられない。

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