網走湖1周・嘉多山地区の史跡

山登り

令和6年(2024)3月30日(土) 10時頃出発 距離37.1km 4時間37分

道の駅メルヘンの丘~女満別市街~丸山(65.0m)~嘉多山集落~大曲

 サロマ湖100kmマラソンを控え、ロング走が必要なのと、一度網走湖を走って一周したいと考え決行。網走市在住のラン仲間4人とともに走る。途中、数多くの史跡を訪問し、低山にも登れた。

【女満別公園跡地】(石碑の概要)大空町女満別中央351番地の1
 明治三十五年には網走陸別間の道路着工とともに、女満別駅逓が設置され、明治三十八年に駅逓取扱人の橋爪九十太(はしづめつくた)氏が宿業と人馬継立業を営んだ。また同氏は自己の社詞諏訪神社を建立し、その周辺に花樹を植え、低地には以下を設けてこのあたり一帯を園地とした。当初橋爪公園と呼ばれた。

【元町遺跡】(説明板の概要)大空町女満別東二条1丁目2−3
 大昔の人達は土を盛った半地下式の竪穴に住み、動物を狩り魚を取り野生植物を採集して生計を建てている。日常の道具は石の刃物や素焼きの容器を使った。この竪穴の作られた年代は比較的新しい擦文時代で本州の奈良、平安朝時代に相当。石器の外に金属器も使用。なお本竪穴の構造洋式は、擦文文化と同時にオホーツクの沿岸地帯に反映したオホーツク文化との折衷様式のものである。

【荷揚坂跡】(石碑)網走市嘉多山(網走湖西岸)
 明治二十四年中央道路の開削にあたり、食糧や資材を運ぶ船は網走川から網走湖を渡り、この地に荷揚げした。受刑者によって丘の上まで道が造られ、荷物を運びあげたためこの坂は荷揚坂を呼ばれた。後に屯田兵入植にも利用された。

 小高い丘のようなものが見え、登って見ると丸山という低山であった。登る途中に碑があった。頂上には「地碑」があり、農村風景が見渡せた。

【農村電化竣工記念碑】北海道網走市嘉多山
 何と書いてあるか不明。再建が昭和二十九年吉日とだけ判明。

【丸山公園碑】住所同上
 裏面には「昭和五十八年十月網走市嘉多山部落建立」と刻まれていた。

【開基六十周年記念之碑】住所同上
 道道から嘉多山集落に左折する交差点に上記の碑があった。裏面は逆光で判読できなかった。

 道道から左折して1kmほど走ると、嘉多山開基百年の碑などがあった。

【嘉多山開基百年の碑】網走市嘉多山474
  正面には上記のとおり刻まれ、右下には「北海道知事堀達也謹書」と刻まれている。裏面には次のとおり刻まれていた。「二十一世紀への誓い この地の開拓は、明治三十二年、嘉多山忠八氏の牧場開設に遡る。先人は原始林の原野に理想郷建設の壮大な夢を抱き、厳しい風雪と激動の社会の幾多の困難を乗り越え、ここに百年の歳月を数えるに至った。開拓当初、人力・畜力の過酷な労働の上、冷害や凶作と闘った。幾度かの戦時には、痛ましくも多くの若き同志を失う悲しみを乗り越え、食糧難、物資不足の困窮生活に耐え抜いた。昭和四十年前後の激しい社会変動のなか、同志の離農が相次ぎ、試練の時を体験した。さらに農産物輸入自由化の嵐が押し寄せ、難しい経営を余儀なくされた。しかし、先人は常に理想郷建設の旗を降ろすことなく、オホーツクの大自然の恵みを享受し、先取的開拓精神と英知を結集し、多くの人材を育て、一丸となって立ち上がってきた。して今日、百年の長い茨の歩みは、大規模機械化畑作農業地帯として、その結実を見るに至った。漁業は、大正期より網走湖西岸の荷揚坂付近で営まれた。当時は手漕船による人力巻き上げの重労働であり、水揚げも多くなかった。しかし、動力化を始め、氷下漁の技術革新、採卵、養殖の資源保護、網走湖の水質保全などの尽力により、生産性を目覚ましく向上させてきた。先人は、如何なる状況下にも、子弟の教育に大きな望みを抱いて情熱を注ぎ、学校、地域父母が一体となりよき伝統を築き上げてきた。そして、郷土建設の礎となる人材、優位な人材を世に輩出してきた。私達は、この大地に根を張った先人の偉大な足跡と不屈の精神を来る二十世紀へと継承し、郷土発展の限り無い努力を誓い合い、この碑を建立する。 波多野興亜 撰文 平成十二年七月八日(西暦二千年)嘉多山開基百年 嘉多山小学校開校八十周年 記念事業協賛会」

【電化記念碑】
 碑文 開拓四拾有余年文化に恵まれざる事久し農村開発文化向上のため農村電化の実現を希求すること切なり大東亜戦争終戦の歳暮部落電化の議起り関係者合い語る事数次時恰も井華鉱業株式会社鴻之舞鉱業所長佐藤胸治氏は戦後日本再建は農鉱一体の振興に有りとの理想に基き今谷雄吉氏の斡旋尽力に応じ其の有する電気資材一切を投じて架線するを約す翌廿壱年五月起工同年七月竣工通電の式を挙ぐ此の工事架線距離延弐拾粁経費総額百万円を費す其の間松崎憲助氏、洞ヶ瀬恆逸氏、井上巌氏は東奔西走寝食を忘れて尽力せる功甚大なり次いで嘉多山電気施設利用組合を設立す役員一同鋭意其の管理運営に努力組合員亦よく協力し数年を出でずして一切の責を了えたるは誠に其の労多とすべきなり此の第一期工事を契機に翌々年部落全区域電化の実現を見たるは真に喜びに堪えず今や渺茫参千余町歩の沃饒は明るく平和な文化郷として累年発展しつつあるいは農村電化の恩恵に負う所大なるを想い感に堪えず農村電化拾周年を迎えるに当り其の経緯の概要と偉業を後世に伝え永く記念する為此の碑を建立す

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