令和6年4月20日(土)北海道中川郡豊頃町北栄
晩成地区に向かう途中、豊頃町十佛西神社のところで石碑を見つけた。
【豊穣の郷】
自然石に黒御影石がはめ込まれ、上記のとおり刻まれ、左下に「豊頃町長瀬智書」と刻まれている。隣の碑文には概要として次のとおり刻まれていた。「人跡未踏の大自然は、川縁に大木が聳え立ち、湿地帯は野地草に覆い尽くされていた。明治二十七年富山県人の碓井順平、神谷諒平の両氏により旧打内太に初めて開拓の鍬が振り下ろされる。年を追って開拓者は増えたが、同三十一年の大水害に打ちのめされ多くの人が他に移り住んだ。河川の猛威、流木も切り裂く寒さに凍え、冷湿害にも耐え、難渋する開墾のかたわら堤防、道路、橋梁等の建設に奔走し、粒粒辛苦遂に農場の郷を築く(以下略)平成六年十一月二十三日 十佛西区開拓百年記念事業協賛会」
コメント