中山道14板鼻宿

その他遺跡

令和6年(2024)4月28日(日) 板鼻宿
当日の総走行距離 19.9km 5時間20分

 板鼻宿に入る直前、寒念仏橋供養塔なる面白い石塔を見つけた。

【寒念仏橋供養塔】(説明板概要)
板鼻宿の念仏講中が寒念仏供養で得た報謝金を蓄積し、享保17(1732)年に石橋を改修し、旅人の利便に供した。その後年月を重ねて破損したので、享和2(1802)年板鼻宿の木嶋七郎左衛門(きじま・しちろうざえもん)が旅の安全を祈り、亡父の遺志を継ぎ、中山道を横切る小川にかけた堅固な石橋の供養塔です。なお、「寒念仏橋」という名の由来は、寒中に念仏を唱えて回り、得た浄財を橋を架ける費用に充てたことによります。その近くに供養記念塔を建て、後世に遺したものです。地元ではこの石橋を『かねつ橋』と呼んでいる。
 

 板鼻宿に近くなると仲の良い男女の双体道祖神が多く見かけるようになった。

 板鼻宿に入った。本陣跡の木の標柱にはここの宿の由来などが書かれている。

【板鼻宿本陣跡】
 「皇女和宮宿泊の書院、山岡鉄舟書扁額、江戸時代の高札、荒木寅三郎書扁額」と書かれていた。

【中山道板鼻宿】
 海音寺潮五郎書と刻まれていた。

 今日の徒歩の旅は、宿泊場所の板鼻宿を過ぎたところの旅館で終了。

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