湯倉神社・日吉神社

説明板

令和3年(2021)12月31日(金)大晦日 朝7時ころ

 湯の川温泉宿泊。朝飯前に湯倉神社まで走ることにする。往復約3km。この神社も歴史に溢れている。

【湯倉神社由緒】
 この地に550年も前に温泉が発見され、キズついた熊が入っていたという伝説があり、昔の人は湯は神様からの授かりものとして元和3年(1617)ころより湯座に薬師様を祭っていた。承応2年(1653)松前千勝丸(のちの九代藩主高広公)難病のおり、母清涼院が夢告でこの湯の存在を知り湯治して全快したので清涼院は喜んで翌年に社殿を改築、薬師様(五寸四分)と唐金作りの鰐口(径六寸三分)とを献納した。後当神社は広く世に知られるようになった。

 湯倉神社の奥に日吉神社が鎮座していた。ここは明治初期に大阪の鴻池から入植した人々が祀った古い神社である。移転前は、函館市日吉町の御鎮守だったようだ。

【日吉神社由緒】
 古事記上巻にも記されている、滋賀県大津市坂本に鎮座の旧官幣大社「日吉神社」がご本社です。
 明治初期に大阪の「鴻池」が入植者約50人を伴い来道し、開拓を始めるにあたって、「日吉大社」の御分霊を祀る「社」を日吉町一円の守り神として、現在の日吉町4丁目に建立しました。爾来、日吉町の産土神として篤い信仰を集めていましたが、時代とともに数回に亘る移転を余儀なくされ、昭和45年には道路の新設拡幅工事にあたり、湯倉神社の境内に鎮座することとなり、現在に至っています。

神社の鳥居の横には、湯の川温泉発祥の地碑があった。

【湯の川温泉発祥の地】
 全国的に名高い湯の川温泉の起源は古く、湯倉神社に残る「元和3年(1617)より湯座あり、薬師仏を祭っていた・・・」という言い伝えにはじまる。
 承応2年(1653)松前藩主氏広の子、千勝丸(のちの九代藩主高広公)が不治の病にかかったとき、母の清涼院が夢告でこの湯に温泉があることを知り、千勝丸を湯治させ、全快したという。喜んだ清涼院は、翌年、このお礼に薬師仏を祀る社殿(現在の湯倉神社)を改造し、知内産の黄金で作った薬師尊像と唐金作りの鰐口を奉納している。
 箱館戦争の時、五稜郭を占拠した榎本軍は、傷病兵をこの温泉で療養させ、榎本自身も時々入湯したという。
 湯の川の語源は、アイヌ語では「ユぺツ」といい、「ユ」は湯、「ぺツ」は川の意味で、「湯の流れる川」のことである。
 泉質は、ナトリウム・カルシウム―塩化物泉で、神経痛、リューマチ、胃腸病などに効果があるとされる。
 この碑は湯の川温泉の発祥を記念して昭和22年(1947)に建てられた。

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