平成24年(2012)1月29日(日) 12:30月島~晴海線~豊洲~13:30お台場(夢の大橋)~レインボーブリッジ~旧芝離宮恩賜庭園~14:30浜松町駅
本日は午前中家族サービスで、東京タワーに上った後、月島でもんじゃを食べた。
その後、月島から埋立地の旅、晴海線から豊洲の東京ビックサイトの横を通り、でかい夢の大橋を渡り、お台場跡を見て、レインボーブリッジを渡り、浜松町まで走りました。しかし、レインボーブリッジは怖い。
【お台場第三台場】
安政元年(1854年)5月の竣工。関東大震災で被害を受けましたが、それを修復。昭和3年(1928年)に整備して公園として開放しました。当時は海上にありましたが、埋立地造成により陸続きになりました。周囲は高さ5メートル~7メートルほどの石垣でその上に土手が築かれています。北側には石組みの船着場跡があり、往時の面影をしのばせます。台場中央には台場守備隊の休憩所と呼ばれる兵舎があり、今では礎石のみが残っています。そのほかにも、防御施設にかかせない火薬庫、玉薬置所などの跡もあります。
この後、レイボーブリッジへ。自転車は乗れないよう、押して歩くように木の枠をはめられる。しかし、このレインボーブリッジの上は、網目があって安全なはずなのだが、非常に高度が高く、また、風もありとても怖いのだ。
【芝離宮恩賜公園】
石川後楽園と共に、今東京に残る江戸初期の大名庭園の一つです。回遊式泉水庭園の特徴をよくあらわした庭園で、池を中心とした庭園の区画や石の配置は、非常に優れています。
明暦(1655~1658年)の頃に海面を埋め立てた土地を、延宝6年(1678年)に老中・大久保忠朝が4代将軍家綱から拝領しました。
忠朝は屋敷を建てるにあたり、藩地の小田原から庭師を呼び庭園を造ったと言われています。庭園は「楽壽園」と呼ばれていました。庭園は、幾人かの所有者を経たのち、幕末頃は紀州徳川家の芝御屋敷となりました。明治4年には有栖川宮家の所有となり、同8年に宮内省が買上げ、翌9年に芝離宮となりました。離宮は、大正12年の関東大震災の際に建物や樹木に大変な被害を受けました。
翌年の大正13年1月には、皇太子(昭和天皇)のご成婚記念として東京市に下賜され、園地の復旧と整備を施し、同年4月に一般公開しました。また、昭和54年6月には、文化財保護法による国の「名勝」に指定されました。
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