令和6年(2024)6月1日(土)
札幌に帰省し午後は手稲まで走ることに。灯台下暗し、「歴史のあしあと 札幌の碑」さんで判明したのだが、手稲コミュニティセンター (札幌市手稲区手稲本町3条1丁目 3-41)のところの碑はまだ訪問したことがなかった。
【旅碑】
碑面には、大きく「旅」と刻まれており、その右側に「手稲駅開駅百五年旅友会創立二十年記念」と、左側に「贈 昭和五十九年十一月二十三日 旅友会会長 (氏名)」と刻まれている。手稲区のHPによると、この碑は、手宮札幌間の鉄道が開通した翌年の明治14年(1881年)に、手稲駅の前身である「軽川簡易停車場」が設置されたことを記念して建てられたものだそう。
【「開村五十年記念」碑】
碑面には、「開村五十年記念」と刻まれ、その脇に「北海道廳長官宮尾舜治書」と刻まれている。宮尾舜治氏は、新潟県出身で、第16代の北海道庁長官を勤めた。背面には、「大正十年九月三日建之」と「手稲村」と刻まれている。
説明板も立てられており、「手稲「開村五十年記念」碑〈建立年 大正10年(1921年)9月3日〉この碑は開村八十年記念碑と共に、昔手稲町役場であった旧手稲出張所の前に建てられていました。現在の場所に移されたのは、旧手稲出張所の建物が取り壊され、手稲コミュニティセンター建て替えられた時です。この碑が建てられたころは開拓もひと段落し、当時の新聞には、札幌に近い農村として将来栄えていくだろう、と語られていました。」と記されていた。
【開村八十年記念碑】
正面には「開村八十年記念碑」と刻まれ、裏面には「昭和三十六年九月三日」と刻まれている。
説明板には、「手稲「開村八十年記念碑」〈建立年 昭和26年(1951年)9月3日〉この碑が建立された年の11月1日に、手稲村は町制を施行して手稲町となりました。」と記されている。
【手稲村道路元標】
小さな石碑に上記のとおり刻まれ、裏面には「昭和七年建設 北海道廳」と刻まれている。その下に銘板が貼られており、そこには「手稲村道路元標 この道路元標は、北海道及び手稲村の道路の起・終点として、昭和七年に初めて設置したが、数度にわたる庁舎の移転改築により、昭和六十年九月に改めて、この地に再建したものである。なお、この元標により、おおむね北東五十度四十分の方向二百七十メートルの地に、最初の位置を明示してある。札幌市」と記されている。
説明板には、「手稲村道路元標 北海道及び手稲村の道路の起点、終点として、昭和7年(1932年)に初めて設定されたものです。その後、数度にわたる役場庁舎の移転改築によって元標も移転しましたが、昭和60年(1985年)9月に改めてこの地に再建されました。」と記されている。
【軽川無電と手稲役場庁舎跡】
説明板には次のとおり記されていた。「軽川無電と手稲役場庁舎跡現在の手稲本町3条1丁目に、巨大な6本のアンテナポールの電柱と堅牢(けんろう)な建物が立っていました。これは、大正10年(1921年)に創設された陸軍所管の「石狩無線電信所」です。この無電は、昭和4年(1929年)閉鎖となったため、施設の建物を手稲村がゆずり受け、昭和8年(1933年)12月に手稲村庁舎として移庁式を迎えました。その後は、手稲町庁舎、札幌市西区手稲出張所として昭和59年(1984年)まで使われました。」と記されている。
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