筑土八幡神社

開拓の歴史以外の石碑等

令和6年(2024)6月26日(水) 東京都新宿区四谷三丁目~筑土八幡町~水道橋~御徒町 8.2km

 東京出張。用務は次の日だが前日入り。宿が新宿なので、墨田区の戦災を免れた下町まで走ろうと考え出発。しかし昼飯がサラダだけなためか、腹が減って走れない。飯田橋、水道橋の手前、神楽坂のところに神社がありお参りする。ここも古い、伝教大師も出てくる。そして大きな庚申塔があった。

【筑土八幡神社】東京都新宿区筑土八幡町
 当神社は嵯峨天皇の時代(809年 – 823年)に、付近に住んでいた信仰心の厚かった老人の夢に現われた八幡神のお告げにより祀ったのが起源であるといわれている。その後、円仁(慈覚大師)が東国へ来た際に祠を立て、伝教大師(最澄)の作と言われた阿弥陀如来像をそこに安置したという。その後、文明年間(1469年 – 1487年)に当地を支配していた上杉朝興によって社殿が建てられ、この地の鎮守とした。上杉朝興の屋敷付近にあったという説もある。
 元和2年(1616年)にそれまで江戸城田安門付近にあった田安明神が筑土八幡神社の隣に移転し、津久戸明神社となった。その後、1945年に第二次世界大戦による戦災で全焼。明神社の方は千代田区九段北に移転し、築土神社として現在に至る。八幡神社の方は現在でも当地に鎮座している。

【庚申塔】
 申塔寛文4年(1664年)造立、太陽と月・桃の木・二匹の猿をあしらった舟型の石造庚申塔。三猿でなく二猿であり、牡猿・牝猿がどちらも桃の枝を持った姿で表現されている点が、きわめて珍しいという。新宿区指定有形民俗文化財。

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