秦逸三之像、チャールズ・ヘンリー・ダグラス像

石碑・銅像・胸像(歴史上の人物)

令和6年(2024)7月5日(金)米沢市中央~米沢城址~米沢藩主上杉家墓所 5.5km 1時間14分

 米沢城址の敷地には数多くの胸像、石碑がある。

【秦逸三之像】・・・鈴木商店のホームページから転載
 https://www.suzukishoten-museum.com/blog/2-3.php

 東京帝国大学工科大学応用化学科(現・東京大学工学部応用化学科)の同窓で苦難の末にわが国初の人造絹糸(レーヨン)の工業化に成功し、帝国人造絹糸(現・帝人)の設立に極めて重要な役割を果たした秦逸三はたいつぞう久村くむらせいの二人は、昭和3(1928)年に”ビスコース法レーヨンの工業化”により藍綬褒章を受章しました。
昭和27(1952)年9月、帝国人造絹糸は二人の偉大な功績を讃えるため、秦逸三の胸像を三原工場に、久村清太の胸像を岩国工場に設置しました。
 帝人の機構改革の一環により三原事業所(旧・三原工場)(広島県三原市円一町)が繊維関連の製造を海外に移管したことを機に、帝国人造絹糸の前身である鈴木商店傘下のあずま工業米沢人造絹糸製造所の設立から100年目の平成27(2015)年、帝人から発祥の地・米沢市に秦逸三の胸像が寄贈され、この度「松がさき第2公園」に関係者が参集し、移設除幕式が開催されました。秦逸三は鈴木商店(金子直吉)の支援を受けながら米沢高等工業学校(*)で応用化学科の講師(後に教授)を務めながら人造絹糸製造の研究に邁進しました。その意味からも秦逸三と米沢市は切っても切れない関係にあります。
 旧米沢高等工業学校本館の建物はルネッサンス様式を基調とする木造2階建で、山形大学が所有しており、昭和48(1973)年に国の重要文化財に指定されました。現在は資料館として公開され、2階には「秦逸三教授記念展示室」が設けられています。なお、8月24日からはがん検診啓発運動への活用や米沢市の新たな観光スポットの創出を目的とした ライトアップが始まっており、幻想的な建物の姿を見ることができます。
 長年雨風にさらされた胸像は寄贈に際し、酸化被膜除去、襟部の溶接補修、下地材塗布、青銅色上塗、屋外用被膜塗布などの措置を施すことによりリニューアルされました。
また、帝人三原事業所の秦逸三の胸像の後方に設置されていた「碑文」は、すでに市内の「御成山おなりやま公園」に建立されている「人繊工業発祥之地」の石碑の左隣に移設されています。

【米沢牛の恩人 チャールズ・ヘンリー・ダグラス(碑文の概要)
 1842~1894 同氏は天保13年(1842)英国ロンドン生まれ。万延元年(1860)貿易商として中国に亘り、文久3年来日、明治3年5月東京大学前身大学南高に語学教師として奉職、明治4年10月には旧藩校興譲館洋学舎に洋学教師として招聘される。明治8年同館の任期が満了し、横浜に帰るおり、米沢での滞在中に食した米沢さんの牛肉が美味であったことから横浜居留地の仲間に米沢土産として生きた牛を連れて帰り御馳走したところ、その美味しさが評判となる。これが米沢牛が世に出た最初の出来事。またお抱えコックの萬吉には、米沢で最初の牛肉店「牛萬」を回転させた。ダラスの伝手により添川村の生産者は横浜の牛肉問屋と契約、米沢産牛を販売するに至る。そこから米沢牛の歴史がはじまり、ダラスこそ、米沢の牛肉を文明開化の横浜に紹介してくれた恩人である。

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