春雨庵・澤庵漬名称発祥の地

古い建物

令和6年(2024)7月6日(土)上山駅~土矢倉古墳群~上山藩校明新館跡~武家屋敷~上山城跡・月岡神社~虚空蔵山~春雨庵(354m)・高楯城跡~春雨庵 14.1km 3時間13分

 虚空蔵山に登った後は、沢庵禅師が住んだとされている春雨庵を訪問する。

【春雨庵(はるさめあん)】山形県上山市松山二丁目10番12号
 山形県上山市にある庵。敷地内には茶室・聴雨亭も併設されている。この茶室は国宝の待庵の造りを踏襲している。
 寛永6年8月、京都・大徳寺の僧である沢庵宗彭が紫衣事件で上山藩に配流された時に、上山城主土岐頼行が仮住まいとして寄進した建物である。沢庵宗彭がこの庵に「春雨庵」と名付け、3年間過ごした。
沢庵は江戸に帰ってからも春雨庵で過ごした頃が忘れられず、時折語り草になっていたことから、土岐頼行は、江戸品川の東海寺の境内に塔頭を建立し、その名も春雨庵と名付け、土岐家の菩寺とした。
 1953年に復元された。土岐家の江戸屋敷にあった石燈籠が敷地の改修の為に上山市に寄贈され、その内の1つが園内に移築されている。また、東海寺が一部改造された際に、東海寺の一間の長押と天井板などを譲り受けている。

【沢庵漬け】諸説あるが、江戸時代、臨済宗の僧・沢庵宗彭が考案したという説がある。沢庵は紫衣事件で出羽国に流罪となり、春雨庵(山形県上山市)に隠遁したが、付近住民の差し入れた大量の大根を干して漬け込み、保存食にしたといい、現在、春雨庵境内には「沢庵漬名称発祥の地碑」がある。その後、江戸に戻った沢庵が創建した東海寺では「初めは名も無い漬物だったが、ある時徳川家光がここを訪れた際に供したところ、たいそう気に入り、『名前がないのであれば、沢庵漬けと呼ぶべし』と言った」と伝えられている。異説として沢庵和尚の墓の形状が漬物石の形状に似ていたことに由来するという説もある。なお東海寺では禅師の名を呼び捨てにするのは非礼であるとして、沢庵ではなく「百本」と呼ぶ。

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